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1997年6月30日

6月30日(月)晴

今朝は早朝から野球の試合があった。昨夜は、交通量調査のバイトなどで遅かったので、ほとんど寝れなかった。その前の日もあまり寝てなかったので、2、3限の授業は本当に眠かった。そして、さらに授業が終わり家に帰ると夜まで爆睡したのだった。

1997年6月29日

6月29日(日)快晴

今日は朝から交通量調査のバイトだった。朝7時から夜10時まで。休憩が2時間おきに1時間あるとはいえ疲れた。栄のナディアパーク付近で歩行者のカウントを僕はしたのだが、ほとんど人の通らない朝からうじゃうじゃと人の通る昼過ぎを経て夜まで、いろいろな顔が見られた気がする。12000円の給料を得たが、休憩の時間が暇だったのでかなり、無駄遣いをしてしまった。

それにしても、今日は日差しが強かった。ひなたにいたのは昼前のほんの1~2時間程度だったのだが、日焼けで腕が真っ赤になってしまった。おまけに、腕に腕時計の跡を焼き付るという失態。しばらく、人前で腕時計がはずせなくなってしまった。

1997年6月28日

6月28日(土)雨

神戸の土師淳君殺害事件で容疑者が捕まった。それだけでもかなりのビッグニュースだが、それ以上に衝撃的であったのは容疑者が14歳の中学生であったことだ。あれだけ残忍な事件であり、犯人(とはまだ決まってないのだが)が中学生であるとは、まさか予想だにしなかったことだ。

この事件、テレビのドラマやマンガなどに影響される部分が多く見られると言われていた。それは、逆に、容疑者の年代に対する影響度を考えるとつじつまが合う。こういったメディアの悪影響もまたこれから騒がれるのかもしれない。一般的な人間にとってはそんなつまらないことを騒がれるのは不本意だが、現実と虚像の区別がつかない人間が現実としているのだからしようがない。

それにしてもテレビを見ていて、この事件の内容に負けず劣らず気になったのは須磨警察署前からの中継。20歳いくかいかないかの若者が群がっていて中継の邪魔をしていた。アホ丸出しで。中学生の少年が起こした今回の残忍な犯罪と、時と場合をまるで判断できないこのアホな少年たちの姿は、種類はまるで違うが凸と凹という字のようにぴったりとはまり込んだ。

1997年6月27日

6月27日(金)晴

暑かった。名古屋は34度まで上がったらしい。けど、まだこの時期の暑さは爽やかだ。梅雨明け後の名古屋のじめじめの暑さはきついものがある。

夜、金曜夜の恒例になってきた感のあるボウリングに行く。H房とH川とで行ったのだが、今日は3人ともすたすただった。6ゲーム×3人で1回も150を超えなかった。

ところで、明日の午後あたりからまた台風が来るらしい。今年は台風の当たり年のようだ。どうも日曜の交通量調査のバイトは順延になりそうな気配。うっとうしい。

1997年6月26日

6月26日(木)晴

あちゃら5月号に続き、D-ZONEが「インターネットでプロ野球を楽しむ方法'97(ランディング編著、BNN、1700円)」という本のP.140で紹介された。本屋で見かけたら見てほしい。当然、僕は買ってしまった。1700円は高かったが・・・。

それにしても、最近だんだん暑くなってきた。蒸し暑い。T田さんでないが、ビールがうまい。

1997年6月25日

6月25日(水)晴

レポートが出た。A4で5枚以上。くそ高い教科書2冊も買わせるわレポート出すわ嫌な先生だ。学生泣かせだ。

1997年6月24日

6月24日(火)晴

夕方、日雇いでデパートの催事場の入れ替えのバイトをやった。催事場は当然ながらしばしば模様替えするのだがそれに、いかに多くの人が関わるのかというものを知ることが出来た。いつものことながら、日雇いのバイトはいろいろな世界が覗けて面白い。

1997年6月23日

6月23日(月)曇

学生センターでまたバイトを取ってきた。今週の日曜に「交通量調査」のバイトをH瀬君とする。交通量調査は一度やってみたかったバイトである。なかなか人気のバイトなのであっという間に定員になってしまうバイトだが、運良く今回出来ることになったわけだ。

夕方、ちょっとムカつくことがあった。買い物に行き、買い物カゴを取ろうとしたら子供が買い物カゴの上に乗って遊んでいた。そのこと自体どうのこうのではないのだが、その時の親の言葉がムカついた。「お兄ちゃんに怒られるよ」。怒るのはアンタだろ。別に俺は怒らない。

1997年6月22日

6月22日(日)曇

朝から日雇いのバイト。今日は「エアコンのフィルターの清掃」というバイト。小間使いのように働かされた。お金以外はほとんどなにも得られなかったバイトであったが、唯一良かったのは、NTTの中を結構見ることができたことだ。NTTのビルを取り扱ったからなのだが、なかなかこういう機会でないと、会社の中身、雰囲気を見ることはできないであろう。

1997年6月21日

6月21日(土)晴

午後、F川さんが監督をする中学野球のチームの組み合わせ抽選に行くことになった。3チーム大会に出すということで一人では大変ということで1チームだけ僕が引くことになった。組み合わせ抽選など少年野球の主将時代以来であるが、その頃のくじ運の悪さにはかなりの定評があった。必ず、優勝候補の筆頭を引き当てていたのであった。今日はどうだったかというと、他人事だからかまあ、普通レベルの相手だったらしい。

1997年6月20日

6月20日(金)暴風雨のち晴

名古屋地方を台風7号が直撃した。台風が6月に上陸するのはかなり珍しいらしい。2,3限は大雨洪水警報が出ていたので、自主休講とさせていただいた。しかし、この台風はあまり大きな台風でなかったのかたいしたことがなくて良かった。それにしても、台風っていうのは近付いてくると妙にわくわくするものがある。

夜には、S木、H房、H川との4人でボウリングに行ってきた。10ゲーム投げたのが、5ゲーム150を超したのでなかなかの好調であった。

1997年6月19日

6月19日(木)曇のち雨

今月になって、すでに内外学生センターの斡旋で4日日雇いのバイトをしている。そして、今日、もう2つバイトの紹介をもらってきた。確かに、金欠による必然性なのだが、仕事をして即給料をもらえるというのはわかりやすいので働き甲斐がある。

1997年6月18日

6月18日(水)曇のち雨

午後から、今日は特別講義があったのだが、教室に行ってみると留年仲間のK君と俺しかいない。結局、掲示板を見に行ったら教室変更であった。留年生の情報力のなさを感じる出来事であった。

ところで、あさって頃、台風が到来するらしい。今年も台風の季節が来た。

1997年6月17日

6月17日(火)晴

いや~、疲れた。今日は午後からの授業はないので、昼過ぎから日雇いのバイトに行ってきた。今日のは「商品仕分け」のバイトだ。日給8000円、実働8時間なので時給1000円計算だ。これは、おとといのバイトといっしょだ。おとといのが楽々だっただけに、今日はしんどかった。自分のやる仕事がいまいちはっきりしていなかったのも、日雇いのバイトとしては辛かった。

しかし、時給1000円のしんどさといったらこれが本当なのだろう。おとといのは本当に楽すぎた。この8000円ゲットで、なんとか今月は食いつなげそうだ。

1997年6月16日

6月16日(月)曇

最近、どうもツイてない。先週は、二段階右折で捕まるし・・・。今日は、一日ツキがなかった。

今朝は早朝野球の試合が予定されていたのだが、小雨の中、原付で出かけるとグランドへ行く途中から本降りになり結局中止。びしょ濡れになって帰ることに。その帰り途中、原付がけたたましい音を立て始める。ついにマフラーまでいかれてしまったのか。そして、昼間自転車に乗っていて、知らないうちにシャツの背中の部分が知らぬ間に汚れていて、結局シミになってしまった。悪いことは重なるものだ。

1997年6月15日

6月15日(日)曇

朝8時半から今日は、日雇いのバイトだ。昨夜、12時頃にN島、F津などが遊びに来たため寝不足だ。今回のバイトはナゴヤ球場で「模擬店の手伝い」、要するに立食パーティーの食べ物を用意するというものであった。それにしても、今日のバイトはおいしかった。2時半まで1000円×6時間=6000円というバイトなのだが、8時半に会社へ行ってみるといきなり朝食を食べさせてもらう。そして、ナゴヤ球場へ移動後、少し準備をすると、昼食までの1時間ばかり休憩。11時半からの1時間は結構忙しかったのだが、その後はほとんど何もすることなし。1時半から片づけをして会社へ帰り終わりである。

しかも、暇なときはカレーとかうどんとか食い放題状態だ。実働約2時間強。う~ん、こんなんでいいのだろうか。その上、帰りは缶ジュースを6,7本持って帰らせてもらう。社長とその娘さんもいい人だった。今度、学生センターで見かけたら間違いなくまたやらせてもらうことだろう。けど、次のバイトが辛そうだ。

今日のバイトはご存知、去年までドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場だったのだが、訳のわからんソフトボールをしていた。間違いなくもったいない。体がうずいた。あんなソフトボールするなら俺達に試合やらせてくれ。

1997年6月14日

6月14日(土)晴

午前中、名大軟式野球部とジーニアスの練習試合をした。どちらも自分が所属しているチームなのだが、今日はジーニアスの方に入った。結果は5対2でジーニアスが勝ったわけだが、自分としては、試合中非常に複雑な心境だった。どっちが勝ったほうがいいのかわからなくなるわけだ。でも、チャンスできっちりタイムリーを打てたので良かった。エラーはしたけど・・・。

1997年6月13日

6月13日(金)晴

まだ、おとといのポスティングのバイトの疲れが抜けない。肩もちょっとこっている。夜には、パソコンを新しく買ったF津の家に遊びに行った。

1997年6月12日

6月12日(木)晴

昼過ぎからF川さんと岡崎市民球場へ都市対抗野球の東海予選の試合を観てきた。アマチュアとはいえ、社会人野球は結構レベルが高いので、面白かった。応援として入れば、ただで観られるので結構お得だ。

1997年6月11日

6月11日(水)曇

今日は、昼からチラシのポスティングのバイト。時給1000円×6時間のお仕事だ。個人が信用されている仕事でマイペースで出来るので、精神的には楽だった。しかし、チラシを1000枚カバンに入れて動き回るのはかなりしんどい。そして、ひたすら孤独の仕事だ。特に、何枚配らなければならないというノルマはないのだが、集合住宅を見つけると走らずにはいられなくなる。カバンがしだいに軽くなるのも妙にうれしい。

お楽しみは、食事代1000円を自由に使っていいこと。久しぶりに吉野家で牛丼食った。夕方7時までに、とにもかくにも1550枚のチラシを配った。歩くのが好きな人には結構いいバイトじゃないかな。それほど、まじめに頑張らなくても何にも言われないだろうし。また、そのうち機会があったらやろうと思う。そのうちね。しかし、疲れた。足腰が弱ってる俺にはちょうど良かったが。

そして、6000円ゲット。しかし、この6000円は昨日の二段階右折ですべて相殺。涙 & 激ムカ→警察。

1997年6月10日

6月10日(火)晴

昼過ぎ、内外学生センターへ行き、明日の「イベントのチラシを家庭ポストへ投函」するバイトと日曜日の「模擬店手伝い」のそれぞれ日払いのバイトを紹介してもらってきた。それぞれ、6000円のバイト。これで、金欠状態からしばらく脱出だと思い、満足げに家に帰る。そして、なにげに交差点を曲がる。そこには、パトカーが止まっていた。
 「おっ、なんか事故でもあったのかな。」
 「あれ、だれか止められてるよ、かわいそうに。」
そして、警察官は俺の前に立ちふさがる。おい、ちょっと邪魔だよ。止めるのは俺じゃねえだろ。ん、もしや止められてるのは俺?でも、今日はヘルメットかぶってるし。もしや原付のライトがつかないから?いや、けど真っ昼間だしなあ。あっ、なんかの検問か?

絶対、止められているのは俺じゃないと思ったから止めてる警察官をあやうく轢きかけた。違反内容はあの「二段階右折」。二段階右折?あんな小さな交差点なのに。たしかに四谷通3丁目の交差点は交差点のところだけ半ば強引に3車線になっている。けど、どこのどいつがあんな交差点で二段階右折するんじゃ。そこで、二段階右折している原付など過去1度しか見た事がない。というか、かえってそんなことしてたら危ない。罰金6000円

6000円?明日のバイトの給料やんか!俺はなにしに行ってきたんだあ!明日、警察のためにボランティアでチラシくばりのバイトをするハメになった。トホホ・・・・。

二段階右折など鈍臭いオバチャンだけにさせときゃいい。

1997年6月 9日

6月9日(月)雨

朝7時半頃、ようやく実験レポートが終わる。レポートの枚数は合わせて50枚に及んだ。この1週間本当に苦しかった。寝るのも惜しんで作成した。これで、今夜はゆっくり眠れる。

1997年6月 8日

6月8日(日)曇

午後から、実験レポートを清書する作業に取り掛かった。そして、夜、清書は仕上がった。この1週間、本当に長かった。解放感・・・、おっと、こうしてはおれんかった。まだ、図が挿入してなかった。その数、34。今日も徹夜だ。

1997年6月 7日

6月7日(土)晴

うーん、今日は実にさわやかな天気だった。早朝はジーニアス(僕の所属する野球チーム(←このところレポート漬けでこの日記までちょっとレポート調。))の野球の試合があった。試合結果は11-0。いつものとおり勝ちだ。自身ヒットも打ちノーエラーで無難なのだが、スローイングとかバッティングとかで足腰の粘りのなさを感じた。ちょっと走り込みが必要だな。

そして、午前中から図書館で今日も実験レポートに勤しむ。幾分か9日の締め切りまでに仕上がる目処もついてきた(謝 to S木T聡)。一時期の危機的状態によるブルーな気分もだいぶ晴れてきた。実験レポートという巨大台風がとおりすぎるのも間近だ。その後は、台風一過の快晴といきたいね。

1997年6月 6日

6月6日(金)曇

辛い毎日が続く。午後から授業は自主休講にして、今日も実験レポートに勤しむ。締め切りまであと3日。

1997年6月 5日

6月5日(木)晴

ここのところ、実験実験に追われる日々だ。ハードウェアの実験のレポートがまだ出来てないのに、今日からソフトウェアの実験が始まった。2日連続で徹夜で今日は猛烈な頭痛。とりあえず、レポート地獄から早く開放されたい。

1997年6月 4日

6月4日(水)曇

もう今週は寝ても覚めても実験のレポートに追われている。デスクに向かい、うとうととしながらも夢でレポートに襲われているのだ。助けてくれ~。締め切りまであと5日。終わるのか?

1997年6月 3日

6月3日(火)曇

来週の水曜日から名古屋大学は名大祭がはじまる。ここのところ、名大祭は訳のわからんテーマがつづいている。去年のテーマは「カニ」ではっきりいってただのバカであったし、今年のテーマは「腐った学生、腐った教授」というとても卑屈なテーマだ。そんなテーマをテーマにしようとする君が腐ってるんじゃないの?と言いたくなる。とても大学祭のテーマとは思えないほど屈折したテーマだ。

第一、大学祭のテーマなんてのは脇役でいいんじゃないの?テーマばかりが目立って内容がイマイチな名大祭である。

1997年6月 2日

6月2日(月)曇

午後から、学生実験のつづき。実験は木曜なのだが、それだけでは終わらなかったので今日やるハメになった。もう電気基盤を見るのはウンザリだ。

1997年6月 1日

6月1日(日)晴

日雇いのバイトだった。100円均一の商品の販売・整理のバイト。朝10時から夕方5時、休憩60分の実働6時間で6500円だ。確かに、体力的には疲れたがレジ以外の品出しなどは特にノルマとかがあるわけではない。昼過ぎの時間帯には長蛇の列がレジに出来て、レジは大変そうであったが、無論経験のない日雇いのバイトはそういう時はレジには入らない。今までやった日雇いのバイトみたいに男ばかりのむさくるしいバイトでもなかったし、結構おいしいバイトであった。また、学生センターで募集を見かけたらやってもいい。ただ、交通費も食費も込み込みなのと通勤に地下鉄で30分以上かかるのは残念だけどね。まあ、そこまで言ったらただの贅沢だろう。