このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年3月26日

3月26日(金)雨

なんとか引越しの荷物の搬出が終った。しかし、荷造りは徹夜でするものじゃないな。途中、何度ブルーになったことか・・・。

夜はS木、H野と焼肉に行き、ボウリングをして、カラオケに行った。途中からM田さんも加わった。名古屋で過ごす最後の夜はなかなか充実した。最後、S木に握手を求められた。アツい男だ。

1998年3月26日

3月26日(木)曇

だめな1日となった。ここんとこあんまり寝ていなかったからね。爆発した。4時に床に就いたのだけど、起きたのは夜の9時だった。

1997年3月26日

3月26日(水)晴

午前中、軟式野球部の練習に行ってきた。今日は、本当に春らしい日だった。スポーツをするには、絶好の季節になってきた。それにしても、今度の金曜日の試合も俺が行かないと、人数的に苦しいらしい。引退したのだかなんだかよく分からない状態だ。

1997年1月16日

1月16日(木)晴

 昨日、PHSを手に入れた。自分の部屋で自分の部屋の電話へかけてみたりしてみる。妙な気分だ。

1998年7月24日

7月24日(金)曇

民党総裁選挙で国民的かつ国際的不信感の強い小渕氏が選ばれた。まったく、自民党のジジィどもは何を考えているんだろうか。こんな経済危機日本をさらに、奈落の底へと落すつもりだろうか。国民の意志が反映されない政治って何?自民党が沈没する日も近いんじゃないの?日本も大統領制を導入して欲しいものだ。

まあ、これが俺のただの勘違いで日本が改革されていくことを願う。しかし、内閣支持率が何%と出るか、今から楽しみだ。

1998年12月 3日

12月3日(木)曇

イエーのスパイ疑惑事件を受けてではないだろうが、高野連が動いた。以下asahi.comからの抜粋。
高野連、「サインのぞき」の禁止を通達へ
 日本高校野球連盟は3日、大阪市内で常任理事会などを開き、二塁走者や一、三塁コーチが捕手のサインを見て、打者に球種やコースを伝える行為を禁止する方針を決めた。4日に開く全国理事会での審議を経て、同日付で加盟校に通達する予定。

 同連盟では、国際大会で相手国からマナー上の問題として指摘された経験などがあることから、これまで技術振興委員会などで議論を重ねていた。この日の会議でも、「サインをのぞく行為はフェアプレー精神に反する」との意見で一致。加盟校に指導の形で、通達することになった。

 同連盟の田名部和裕事務局長は「二塁走者がサインをのぞく行為は以前から気になっていた。相手のくせや動きによって『読む』行為とは根本的に違う。指導を徹底するための具体策については、さらに検討していきたい」と話している。

この記事を見て、野球をやってきた人であれば、多少の驚きを感じることだろう。日本においては、ある程度のレベル以上では、二塁走者が打者へコースなどを伝えるのは常識に近いからだ。そういう野球を常識として受け取ってきた私は、先日のダイエーの疑惑は選手以外がサインのぞきに関わっている点からモラルに反すると感じたが、この今回の高野連の見解は素直には受け入れがたい。しかし一方で「サインをのぞく行為はフェアプレー精神に反する」という意見も言われれば受け取れなくもない。野球は、これからもっともっと国際的になっていくスポーツ。だからこそ、この方向性は「野球」を「Baseball」に近づけていくために必要なことなのかもしれない。これからは注意しなければ・・・。

1999年10月28日

10月28日(木)晴

ドラゴンズは日本シリーズ、1勝4敗に終わってしまった。振り返れば全くドラゴンズのらしさ、いいところを全く見ることができなかった。まさに、そんなシリーズを象徴したのが今日の3回表、一挙6点を取られた回だった。なんでもないピッチャーゴロを野口がエラー、つづいて満塁からショート福留が今シリーズ3個目のエラー(ま、これはいつものことだが・・・)。この後、2点タイムリーを打たれた後、満塁からとどめの井上の走者一掃3点エラーである。この屈辱を必ずや来年晴らしてくれることだろう。

今年のシリーズは優勝決定からダイエー、中日ともに1ヶ月近くもの期間が空いた。この長いブランクが勝負の分かれ目だった。ダイエーはこの期間データをかき集めた。その一端が大胆なダイエーの守備シフト。再三再四このシフトに安打コースをさえぎられた。反面、中日はその長いブランクで試合感を失い最後までその試合感を取り戻すことができなかった。

どちらにせよ、優勝から日本シリーズへのこの長いブランクは問題だろう。まるで、日本シリーズがシーズンの付録のようである。

1997年1月19日

1月19日(日)晴

 軟式野球部の連盟の委員会が夕方からあった。やることは前回、決めきれなかった新役員の選出だけであったので委員会は1時間ほどで終わった。

1998年8月16日

8月16日(日)曇

速バスで実家・富士吉田へ帰省。道は結構、込んでいたが、バスの中はすきすき。2シートを使って寝ながら、昼過ぎに富士吉田に到着した。う~ん、やはり実家は涼しいなぁ。湿気がなくて快適だ。夏は大変いいところだ。

ところで、甲子園今日の第3試合、豊田大谷対宇部商の一戦は延長15回の熱戦。結末はなんと宇部商・藤田投手のボークで豊田大谷サヨナラ勝ち。なんとも藤田投手はかわいそうである。しかし、「非情な審判」とまで言っていた人がいたが、これはおかしな話。ルールなのだから「審判」の方が当然、正しい。

1997年9月12日

9月12日(金)晴

今日は「計算機アーキテクチャ」と「非手続き型言語」の2つの試験があった。前者はよくできたが、後者はいまいち。とりあえず、試験1週目が終わり試験の数は5/7を消化した。あとひといきだ。成績表が返ってくるのが恐いが。