このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年6月 1日

6月1日(月)曇

よいよ、明日に差し迫ってきた個人面接のプレゼン。午後から研究室で練り上げて、OHPフィルムをうんとこさとして作り上げ、家に引き返す。そして、プレゼンの練習を一応した。

1997年6月 1日

6月1日(日)晴

日雇いのバイトだった。100円均一の商品の販売・整理のバイト。朝10時から夕方5時、休憩60分の実働6時間で6500円だ。確かに、体力的には疲れたがレジ以外の品出しなどは特にノルマとかがあるわけではない。昼過ぎの時間帯には長蛇の列がレジに出来て、レジは大変そうであったが、無論経験のない日雇いのバイトはそういう時はレジには入らない。今までやった日雇いのバイトみたいに男ばかりのむさくるしいバイトでもなかったし、結構おいしいバイトであった。また、学生センターで募集を見かけたらやってもいい。ただ、交通費も食費も込み込みなのと通勤に地下鉄で30分以上かかるのは残念だけどね。まあ、そこまで言ったらただの贅沢だろう。

1999年10月 1日

10月1日(金)

仕事帰りN口、T内らと飲んだ。帰りに食ったラーメンはバリまずだった。

1998年12月18日

12月18日(金)晴

在、タイ・バンコクでは盛大にアジア大会が開かれている。このなかで、16日の新聞に奇妙なルールの記事を見つけた。3位なのに銅メダルをもらえなかったという記事だ。この理由は、アジア・オリンピック評議会(OCA)に1カ国でメダルを独占しないという憲章があるためである。そのため、1-3位を同じ国で独占すると、3位の選手は銅メダルをもらえないらしい。

なんとなく、この憲章のいわんとするところはわからないでもない。ただ、そんな形で3位なのに銅メダルをもらえない選手、4位なのに銅メダルをもらう選手はどんな気持ちなのだろうか。3位の選手にしてみればなぜもらえないんだという気持ちであろうし、4位の選手にしてみてもその銅メダルに何の意味があるのだろうか。この憲章は国単位のことしか考えておらず、まるで選手単位のことは無視されてる悪法と言っていいだろう。

さらに問題なのは、このアジア大会におきこの規定が不統一であるということ。ボウリング女子、アーチェリー女子個人では「1カ国でメダルを独占しない」というOCAの規定が適用されたのに対し、馬術の馬場馬術個人では韓国選手が1-3位を占めたが、独占を認めている国際競技連盟(IF)の規定によりそのままメダリストとして表彰された。

1999年7月20日

7月20日(火)雨

朝方4時頃、名古屋をたった。しかし、愛知県中部から静岡県西部くらいにかけてこの時、局地的な大雨に見舞われていた。前が何も見えない。おまけに眠い。思わず、まぶたが・・・。やっとの思いでパーキングエリアまでたどり着いて、仮眠をとることに。途中、かなり寝ていたり休憩したりしたので、藤沢に着いたのは昼の2時前だった。

家に着くと早速の爆睡モード。明日からはまた仕事や。

1999年3月15日

3月15日(月)雨

3年間、お世話になった塾の塾長が昨日亡くなり、夕方、通夜に行ってきた。ご冥福をお祈りいたします。

1997年2月19日

2月19日(水)晴

 、友達が差し入れを持って遊びに来た。財政が苦しい今月、こういう友達は大歓迎だ。食費を削って買ったパソコンであったが、なんとかやりくりできる目処がついてきた。

1999年1月 4日

1月4日(月)晴

今回、実家の富士吉田へは大晦日に中央線で、しかも長野まで大回りしてのんびり帰ってきたわけだが、このルートが結構好きだ。中央線は大自然の中をぬって進み、日本の気候の豊かさを感じる。「トンネルを越えるとそこは雪国だった」とは川端康成の「雪国」だが、そんな場面をまま目にすることができる。暇な人にはおすすめだ。

1999年3月22日

3月22日(月)暴風雪

はるばる一晩バスに乗ってスキーに来たものの、今日は大荒れの天気。リフトがほとんど動かない状態であった。そんな状況だから、ほとんどスキーができないまま終ってしまった。まあ、吹雪の中の露天風呂で髪の毛が凍るというめったに経験できないことを経験できたことで満足するか。帰りのバスも帰りのバスで連休最終日のために、渋滞に巻き込まれたし、やや空しい疲れだけを残したのだった。