« 1998年7月 | メイン | 1998年9月 »

1998年8月31日

8月31日(月)晴

木のススメでICQに登録した。ICQを使用しているメンバーを追跡して、現在ネット上にいるかどうかを知ることができたり、メーラを経由せずに直接メッセージの送受信ができるなど、なかなか便利そうだ。http://www.icq.com/languages/japanese.htmlあたりを参考にぜひ登録を!ちなみに私のICQナンバーは18218278です。

1998年8月30日

8月30日(日)雨

しぶりに家で映画を見た。リチャードギア主演「真実の行方」。多重人格をテーマとした法廷ものの映画。最後の大どんでん返し、良かったなぁ。ああいう予想外の結末は大好きだ。

1998年8月29日

8月29日(土)曇

チの大学の医学部の教授がまた一人捕まったそうな。まっ、俺には関係ないが・・・。

1998年8月28日

8月28日(金)雨

夜は、久しぶりに栄に飲みに行った。飲みすぎた。最後のラーメンが胃にもたれた。気持ち悪りぃ。もう寝る。

1998年8月27日

8月27日(木)曇

題のPostPetを入手した。案外、おもろいかも・・・。誰か、PostPetやってる人いたら、送ってちょーだい。shige37@geocities.co.jpまで。

1998年8月26日

8月26日(水)晴

せ薬と偽り、有毒のクレゾールを送り付け、それを中学生を飲んで病院に運ばれるという事件があった。だけど、同封の手紙はいかにも怪しげな文面。こんなのに、騙されるとは・・・。しかし、人のコンプレックスを逆手に取った事件。許し難い。

1998年8月25日

8月25日(火)晴

しぶりに、S木、H野らとビリヤードに行った。かなり久しぶりだったが、いきなり、ブレイクで9ボールを落した。最近、Iネットでビリヤードしていたりしていたが、やっぱりビリヤードは実際やった方が面白い。

1998年8月24日

8月24日(月)曇

日、愛知県内におき、岡崎では49才の主婦が、西枇杷島町では男性が、その他蒲郡でも1人、名鉄の電車にはねられ死亡した。あまり見かけない電車事故が一挙に3件。なにかの力が働いているに違いない・・・。まあ、ただの偶然か。

1998年8月23日

8月23日(日)晴

の甲子園で旋風を巻き起こした横浜高校・松坂大輔。ちょうど彼が生まれた年-1980年-は早稲田実・荒木大輔が活躍した年。松坂の「大輔」も荒木大輔にちなんで付けられたのだという。あれからもう18年か。時代の流れを感じるなあ。

1998年8月22日

8月22日(土)晴

80回全国高校野球選手権決勝、横浜高校が京都成章を3対0で破り、史上5校目の春夏連破を果たした。さらにエース松坂はノーヒットノーランという偉業を成し遂げた。準々決勝ではPL学園と延長17回の死闘、準決勝では0-6から明徳義塾を逆転サヨナラで打ち砕く。そして、今日の決勝・・・。こんな劇的なシナリオ、考えても思い付かない。1998年度横浜高校ナイン、忘れ得ぬチームとなりそうだ。夏の甲子園が終わると、一気に夏の終息を感じ始める。

今日は、俺にとってとても長い一日となった。実家に部屋のカギを忘れてきてしまい、しかも大家とも連絡が取れず、昨夜は大学の計算機室で一夜を過ごす。ところが、今朝になっても大家とは連絡が取れず。ゲーセンに行ったり、喫茶店で粘ったり、暇つぶしをしながら、大家と連絡が取れたのは、午後2時。昨夜の8時から自分の部屋の前で地団駄を踏むこと実に18時間。やっと、自分の部屋に入ることが出来た。そして、一時は代打策まで画策した合コンにも無事行ってきた。遠く岐阜まで行ったが、さして成果もないまま家に帰ってきたのは午前3時30分。本当に長~い1日だった。

1998年8月21日

8月21日(金)晴

子園準決勝第1試合、横浜対明徳義塾。横浜の先発マウンドに松坂はいなかった。まあ当然だろう。昨日までの2日間で約400球も投げているのだから。金の卵が潰されなかったことに一安心。試合は8回表終わり、明徳6-0でリード。昨日の死闘で横浜精根尽き果てたかぁ。まあ、俺の心の中だけは横浜の優勝だ。そう諦めたのだが・・・。

明徳義塾 000131010 =6
横  浜 000000043X=7
すごい。すごすぎる。おそるべし、横浜高校。

夕方、高速バスで名古屋へ帰る。バスに乗ること約5時間。やっと、着いた。あ"っ。カギがねぇ。実家に電話にすると、しっかりとカギが実家に置き去りにされているのが確認された。大家とも連絡つかず。今夜は大学の計算機室に泊ることに・・・。

1998年8月20日

8月20日(木)晴

子園準々決勝第1試合、横浜対PL学園。春の準決勝にもあったこの対決、その時は横浜が逆転勝ちで勝っている。事実上の決勝戦と思われる対決。朝8時30分からの試合であったが、早起き(?)して観戦した。この試合は想像を越える、そして球史に残る好ゲームとなった・・・。

横  浜 000 220 010 010 000 12=9
PL学園 030 100 100 010 000 10=7
	(延長17回)
両チーム一進一退の試合となった。3時間37分の死闘。試合が終わると観戦している俺までも熱いものが込み上げた。横浜の春夏連覇説が大いにささやかれる中、ベスト8敗退説を戦前から唱えていたが、脱帽だ。もうこりゃ連覇でしょ。しかし、横浜エース・松坂は17回を投げ抜き250球を投じた。それだけが不安材料。

1998年8月19日

8月19日(水)晴

、姉、甥、姪らと富士急ハイランドへ。非常に近所にある富士急ハイランドだが、入るのは実に久しぶりだ。空は晴れ渡り、暑い一日だった。

今日の甲子園第一試合、3回戦、豊田大谷対智弁和歌山の一戦。5-6で智弁和歌山1点リードで迎えた9回、豊田大谷は無死一、二塁の場面でプロ注目の古木が送りバンド。次打者・前田がタイムリーを放ち逆転、これが決勝点となった。この前田という選手は素晴らしい選手だ。古木にバンドまでさせ、さらに結果を出したのだから。---6年前、星稜対明徳義塾戦、松井への5打席敬遠が物議を呼んだ。この試合、この作戦が功を奏し明徳が2対1で勝ったものの、世論は明徳を叩きまくった。だが、これは松井の次打者が打てば良かったこと(たしか松井の次打者は完全に抑え込まれた)。明徳は作戦巧者であっただけで、汚い野球をしたでもなんでなかった---。どうしても警戒される大打者。その次の打者が重要になる。野球は個人戦でなく団体戦なのだから。

1998年8月18日

8月18日(火)晴

日は久しぶりにじっくり寝まくった。ふう、リフレッシュ。

1998年8月17日

8月17日(月)晴

、姉、甥、姪らと沼津の海へ。まあ、兄貴や姉貴が結婚、子供が産まれる以前には絶対ありえなかったことではある。沼津・千本浜に約2時間かけて着くも波荒く泳ぐどころでなかった。結局、水際で水を浴びる程度で帰ってきた。

1998年8月16日

8月16日(日)曇

速バスで実家・富士吉田へ帰省。道は結構、込んでいたが、バスの中はすきすき。2シートを使って寝ながら、昼過ぎに富士吉田に到着した。う~ん、やはり実家は涼しいなぁ。湿気がなくて快適だ。夏は大変いいところだ。

ところで、甲子園今日の第3試合、豊田大谷対宇部商の一戦は延長15回の熱戦。結末はなんと宇部商・藤田投手のボークで豊田大谷サヨナラ勝ち。なんとも藤田投手はかわいそうである。しかし、「非情な審判」とまで言っていた人がいたが、これはおかしな話。ルールなのだから「審判」の方が当然、正しい。

1998年8月15日

8月15日(土)曇

之内キャンプ最終日。天候が懸念されたが、予定通り、揖斐川の河原でバーベキュー。心臓に悪そうなほど水温も低かったが、川にも入水。疲れ果てたが、輪之内キャンプ終了。明日は高速バスで実家・富士吉田に帰省。

1998年8月14日

8月14日(金)晴

之内キャンプ2日目。本来、今日の昼、揖斐川河原でバーベキューのはずだったが、I貫が今夜でないと来れないことが発覚。急遽、明日に延期。今日は結局、晴れ渡る空を外に眺めながら麻雀を勤しむことに・・・。ちなみに俺は7000円負けた・・・。(;_;)

1998年8月13日

8月13日(木)曇

日から15日まで輪之内キャンプ。といっても、友人N島の実家で4,5人で毎夏、バーベキューやら麻雀やらをするというもの。今年はN島、F津、E原、俺に加え、14日からI貫が合流する。夕方、岐阜・輪之内へ移動すると、バッセンによりつつ、麻雀に勤しんだ。

1998年8月12日

8月12日(水)雨

んもなし。

1998年8月11日

8月11日(火)晴

日、甲子園でレフトがフェンスに腕を挟まれランニングホームランになるという珍事件が起こった。野球ルールでは「フェンスなどにボールが挟まった際」は三塁打かなんかと定められていたはず。でも「フェンスなどに選手が挟まった際」のルールは当然、決まっていない。ゆえに、ランニングホームランとなってしまった。気の毒だ。

1998年8月10日

8月10日(月)曇

週月曜は家庭教師の日だ。今日も例のごとく黒川へと向かう。家に着くと驚いたような顔で出迎えられた。生徒の都合で明日に変更したことを忘れていた・・・。

1998年8月 9日

8月9日(日)晴

はり、海はいいねぇ。いろいろと。まあなんだかんだと体中を真っ赤にさせて今日は名古屋へと帰ってきた。

1998年8月 8日

8月8日(土)曇

夜は内海に泊り。遠いイメージがあったが、有料道路を使ったら1時間かからず着いた。近い。

1998年8月 7日

8月7日(金)曇

んも無すぃ。

1998年8月 6日

8月6日(木)晴

の甲子園が開幕した。

第2試合の愛工大名電-日南学園では勝負の怖さを感じた。結局日南学園が9回表、一挙6点を挙げ7対2と逆転勝ちしたのだが、勝負の分かれ目は8回裏にあった。名電の攻撃は二死一、三塁、平凡なセカンドゴロをセカンドがファンブル。しかし、二塁は間一髪アウトだった。俺は誤審と見ているが・・・。ここで1点が入っていれば3対1となり名電が2点リード。試合の流れを考えても、試合は全く反対方向に転がっていたに違いない。ワンプレーの重要さを改めて感じた。

ところで、開会式直前に甲子園ではジャニーズJr.のセレモニーがあった。この話を聞いた時から予想はついていたことだが、かなり場違いなものだったらしい(直接見てはいないが)。甲子園とジャニーズJr.、どう考えても結びつかないもんなぁ。誰が企画したのか知らんがとんだ検討違いだったというやつだ。

1998年8月 5日

8月5日(水)晴

、久しぶりに会うH瀬と飯を食った。パソコンなんぞ使ったこともなかった彼も会社でシステム部に配属され、ここのところは研修でプログラミングをしているらしい。社会人は大変だ。

1998年8月 4日

8月4日(火)晴

と一人でどっか行きたくなることがある。今回はむしょうにゲンチャをぶっとばしたくなり、目的もなくなぜか岐阜へと向かった。迷いながら3時間かけて岐阜市内に到着。岐阜大学の学生サロンのようなところで一休み。ゲンチャをぶっとばす以外に目的もないので、帰途へ急ぐ。ここで、岐阜市内でハマった。約1時間も迷いまくる。岐阜市内を脱出すると、清洲でバッティングセンターに寄りつつ、名古屋まで。本日のマイゲンチャ君の走行距離約165キロ。大活躍であった。

ところで、今日の東海地方は35度を越える酷暑日。暑さは気にならなかったが、太陽光が強く、今、腕ヒリヒリである。

メチャメチャ疲れた。しかし、全く生産性のない1日だった。まあ、こんなアホなことに1日費やすことが出来るのは今年限りだしね。次は青春18で日本最北端の地、稚内を目指す(ウソ)。

1998年8月 3日

8月3日(月)晴

コイチのカレーを夕食に食べた。1辛をはじめて頼んでみたのだが、意外と辛くて驚いた。血迷って3辛とか頼まなくて良かった。

1998年8月 2日

8月2日(日)晴

日の阪神 対 巨人戦。

高橋の死球で第1の乱闘。ここで矢野捕手に暴行の巨人・武上コーチ退場。そして、槙原が阪神捕手・矢野に報復とも思える死球で第2の乱闘。「報復の槙原」はとびきりかっこ悪かった。それをじっとこらえていた矢野はちょっとかっこ良かった。巨人は試合もあざやか逆転負け。

巨人ファンでなくて良かった。少年時代は巨人ファンだったりしたのだが・・・。こういうかっこ悪いのが昔から多いんだよね。巨人は。

かっこ悪いといえば、日本テレコムから請求書が届いた。あっ、そういえば5月に契約したんだっけ、忘れてた。で、5月21日~7月20日の2ヵ月間の請求額が「10円」。10円払い込むの?ちょっとかっこ悪いっす。

1998年8月 1日

8月1日(土)曇

日の続報。結局、ガルベスには連盟から「今季出場停止」、球団側からは「無期限出場停止」の上、帰国させるという処分が下った。事実上、国外追放処分。当然といえば当然。あんなナメた行為がまかり通ったのではどうしようもない。

会見で反省を訴えていたガルベスだが、ガキではないのだ。反省されても許されざる行為であった。