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1997年3月31日

3月31日(月)晴

明日から消費税率が5%になる。ということで、僕もスーパーで買い込みに行った。

それにしても、消費税が導入されるときは、ものすごい騒がれたが、今回はなんとなくすんなり税率が上がったのがこわい。こんな調子でどんどん税率が上がってしまうんだろうか。こわいことだ。5%でぜひとも止めておいてほしい(計算もしやすいし)。

1997年3月30日

3月30日(日)晴

奨学金の方へ現在の生活を報告しなければならないので、この1年についていろいろ考えてみたが、正直訳のわからん1年を過ごしてしまった。週休5日という生活であった。それでいまいち何の成果も挙がってない。今年は、気を入れ直してやろう。

1997年3月29日

3月29日(土)雨

あちゃらに載った。僕が作っているドラゴンズのページ"D-ZONE"があちゃら5月号のp.73に載ったのだ。といっても、ごくごくご~く小さくだけど。ちょいとミーハーな僕としては感動的なことだ。本屋で見かけたら見てみてね。見てもどうってことないけど。

1997年3月28日

3月28日(金)晴

軟式野球部の公式戦に今日も出場してきた。今日の結果は松阪大相手に0対1。4試合目のサードでやっとノーエラーだった。だんだん守備の感覚は戻ってきた。その点は評価できるのだが、打撃では、一死三塁の同点機でランナーを返せなかったのが反省材料だ。

負けて満足してはいけないのだろうけど、ここ2,3試合の守乱を考えるとチーム無失策という点で少し満足してしまうのだった。

1997年3月27日

3月27日(木)晴

テレビで、これぞ高校野球という試合を見た。9回裏4対5、二死満塁ツースリー、バッターの打ったゴロはショート真正面へ。多分100人見てたら99人はすんなり終わったと思う当たりだろう。しかし、ショートはなんとトンネル。2塁ランナーまで返って6対5のサヨナラという結末になった。

おそらく、そのショートも普段であったらほぼ100%の確率でさばける当たりだっただろう。甲子園というでかい場、1点差最終回二死満塁ツースリーという極限状況、自分次第で勝ち負けになる状況、そういったものがそのショートには襲い掛かったのだろう。プレッシャーとは恐ろしい。

1997年3月26日

3月26日(水)晴

午前中、軟式野球部の練習に行ってきた。今日は、本当に春らしい日だった。スポーツをするには、絶好の季節になってきた。それにしても、今度の金曜日の試合も俺が行かないと、人数的に苦しいらしい。引退したのだかなんだかよく分からない状態だ。

1997年3月25日

3月25日(火)晴

名古屋大学では、今日、卒業式が行われた。昼、見送りにいってきた。とりあえず、おめでとうといったところだ。

大須で、日本語入力システムの「IME97」を買った。ひとまず、現段階で最強の日本語入力システムといわれてるが、目に見えて変化を感じることはないけれど、ソフトの特性的にそれはしょうがないことだろう。安心感を買ったと思えば2000円今日くらいは安いものだ。

1997年3月24日

3月24日(月)晴

風が強かった。その風が異常に冷たかった。軟式野球部の試合だったのだが、本当に寒いわ、風がうっとうしいわでやりにくい日だった。

それにしても、今日の試合はコールド負け。俺達が主力学年だった去年は、守備力が高くコールド負けなどもってのほかだった。ふがいない(自分も含めて)。そういう自分もしっかりエラーをしてしまった。早朝野球の方もあるので、練習しなければ・・・。ちょっと今のチーム状態は負け癖がついているとしか思えない。

1997年3月23日

3月23日(日)晴

昨日は、朝まで遊んでいた。昼に塾講師のバイトで2時間ほど教えてきたが、それ以外は、ひたすら寝ていた1日だった。

1997年3月22日

3月22日(土)晴

今日は、軟式野球部の卒業生の追い出しコンパがあった。2次会では、ボウリングをしたのだが2ゲームやって65、106と全く精彩を欠いた。酒が入っているとはいえ65とはないもんだ。その後、朝までビリヤードをしたのだった。疲れた。もう寝る。おやすみなさい。

1997年3月21日

3月21日(金)曇

今日も軟式野球部の試合に出た。今日の目標はとりあえずノーエラーだった。さすがに、昨日の試合にも出たので、守備の感覚が昨年までと同じ感じに戻ってきた。

しかし、練習をやってないということは、ピンチなどのプレッシャーのかかった場面に出てくるものである。練習をしていない分、余裕がなくなるからだ。逆転のピンチでそれがエラーという形で出てしまった。やはり、練習は大事なものである。結局、負ける相手ではないし、負ける試合ではなかったのだが、逆転負け。

1997年3月20日

3月20日(祝)曇

今日、軟式野球部の公式戦に急遽、出場した。すでに、3回生は引退という形になっているのだが、サードのレギュラーのHが、用事で来れないので補充で出ることになった。

しかし、今年になってボールを投げたのは、昨日がはじめてなのに昨秋までのようなことを期待されても困る。守備は2エラーであった。結局、1-5で負けた(まあ、対戦相手から考えると妥当な結果なのだが)。明日も試合があるのだが、明日もHは来れないらしい。明日は今日よりはちょっとはマシになるだろう。

1997年3月19日

3月19日(水)曇

午前中、久しぶりに軟式野球部の練習に顔を出した。そして、久しぶりにボールを握り、キャッチボールした。バッティングセンターへ行って打つということは簡単に出来るが、投げるということはなかなか出来ないのである。軟式野球部は引退したものの早朝野球の方は現役である。4月5日の開幕までにはある程度、体が出来てないと大変だ。

1997年3月18日

3月18日(火)晴

夜9時から、ドラマ「踊る大捜査線」の最終回を見た。昨日の「バージンロード」とは逆に、見てきて良かったという気分に包まれた。今度、再放送されるときには、全話ビデオに録ろうかとも思うほどだ。

それにしても、いろいろといわくが多い織田裕二ではあるが、彼は本当にいい役者だ。今回は三の線の役だったが、俺の中でベストオブドラマになっている数年前の「振り向けば奴がいる」みたいな影のある役も出来る(最近はやけに愛敬のある役が多いような気がするが)。尊敬に値する役者だ。

それから、今日はナゴヤドームの柿落としのオープン戦が行われた。バイトの行き帰りに外観はたくさん見ているが。早く行っておかなくては。

1997年3月17日

3月17日(月)晴

夜9時から、ドラマ「バージンロード」の最終回を見た。10回強見てきたわけだけど、そのことを猛烈に後悔した。

どうして、死んだカオルが教会にいるんだよ。なに?「天使の仕業」?ふざけすぎだ。予告で、カオルが死んだという部分をやけに強調していたときから怪しいとは思っていたのだが、ここまでくっさ~い設定が待っていたとは・・・。

結局、この手のドラマは設定こそ違えど、筋は一緒ということを再確認させられた。そんなドラマで視聴率を荒稼ぎできちゃうのだから、めでたいもんだ。もう見ないぞ、月9は。明日の「踊る大捜査線」最終回には期待してるぞ!

1997年3月16日

3月16日(日)曇

午後2時50分頃、東海地方で地震があった。名古屋は震度4ということだった。その時、こたつで横になっていたのだったが、目が覚めてとっさにこたつの中にもぐった。

うちは、7階にあるので、少し揺れかたが大きくなるのだと思う。伊豆の群発地震のときも、名古屋では地震が計測されてなくても揺れを感じたことがあった。今回の地震だが、音は大きかったけれど、結局、積んであったフロッピーが崩れたり写真立てが倒れた程度であった。地震はやっぱりこわい。

1997年3月15日

3月15日(土)曇

特に何もない一日だった。終わり。

1997年3月14日

3月14日(金)晴

ひたすら眠り込んで14時間。夜中の3時から夕方の5時ころまで眠り込んでしまった。さらに、起きて夕飯(?)を食べてからまた2時間ほど眠り込む。今日は、寝だめの日となった。

1997年3月13日

3月13日(木)曇

今日も、夜は家庭教師のバイト。明日はテスト最終日。来月まで、家庭教師はお休みだ。

よくあることではあるが、何でこんな問題がわかんないんだと度々イラつく。だが、中学の問題を中学生が解くのだからそんなものなのだろう。冷静に考えると、俺も中学生の頃はこんなものだったのだろうと思う。全部わかったら、家庭教師なんていらないのだ。じっと、我慢、我慢、我慢。けど、やっぱり、イラつくものはイラつくのである。人にものを教えるのはむずかしいものだ。

1997年3月12日

3月12日(水)晴

ここ数日、連日家庭教師のバイトとなっている。中学生なのだが、今、テスト中なのである。明日、もう一回教えて、今月は終わりということになる。明日が終わったら、どっか貧乏旅行にでもいこうかな。

1997年3月11日

3月11日(火)晴

ナゴヤドームを見に行ってきた。横浜から来た友達と見に行ってきたのである。いつも、バイトの通勤途中に遠くからの姿は見ていたが、近くまでいったのは久しぶりだ。

前に近くまで行ったときはまだ、工事現場という感じであったが、今日はあさってオープンということであるのできれいに出来上がっていた。今日は、外側しか見られなかったが、早く中を、そして野球をしているところを見たいものだ。

1997年3月10日

3月10日(月)曇

ミスチルが無期限の休暇ということらしい。理由は不明だが、突然のニュースに驚きだ。密かに俺は理由は「桜井の声」と思っている。長らく、「Tomorrow never knows」の頃に比べて、声質が悪くなってきている気がしていたのだ。まあ、あくまで俺の考えである。

それはさておき、夜、高校の同級生が家に来て泊まっていった。酒飲んで、いろいろと語り合った。

1997年3月 9日

3月9日(日)晴

高校の同級生から電話がかかってきた。今、大垣に来ているということらしい。それで、明日泊めてほしいということだった。特に、断る理由もなかったので、了解した。明日は、とりあえず酒でも飲もうかと考えている。

プロ野球ニュースでやっていたのだが、明日オリックスはオープン戦で嘉勢が先発するという。嘉勢は登録は野手なのだが、最近オープン戦でしばしば投手として登板しているのだ。仰木監督は本当に投手で使うことを考えているのだろうか?もしも、野手と投手の二束のわらじを履くようになれたら、面白いことは面白いと思う。明日の試合は注目だ。

1997年3月 8日

3月8日(土)晴

夜、金山での家庭教師のバイトの後、急に歩きたくなり歩いて帰ることにした。参考までに家庭教師先から家まで10キロはある。自分でいうのは何だが俺も、妙な奴だ。結局、家に着くのに1時間40分かかった。もう二度とやらないだろう。

1997年3月 7日

3月7日(金)晴

今日の名古屋の最高気温は20度を超えたらしい。4月下旬並みの陽気だったらしい。確かに、今日は風は暖かかった。このまま、春になりきってしまえばいいのだが、また寒の戻りというのがあるのだろう(こんなことを書いてる自分はじじいのようだ)。

夕方、H瀬君のおごりで回転寿司に行った。正確にいうと「おごり」ではなく、「バイト代」である。ワープロ打ちのバイトである。しかし、原稿用紙30枚というのをちょっと、なめていた。2時間やってやっと2/3が終わった。2000円分食ったとして、時給は約667円か。まあ、MSワードの練習にもなるし、今回は良しとしよう。次回頼まれたときは、もう少し高い条件を提示しようと思う。

1997年3月 6日

3月6日(木)晴

特にこれといって、何もない日であったのだった 。それにしても、今日は暖かい日だった。冬が嫌いな僕には嬉しい限りだ。

1997年3月 5日

3月5日(水)晴

昼間、バッティングセンターに行った。軟式野球部は引退したものの、今年も早朝野球のチームの方は残留することになっているのでその練習である。およそ3ヶ月ぶりにバットを振ったことになるのであるが、一応野球をしていた人とは思えないような空振りを最初の約10球ほどしてしまった。ブランクとは恐ろしいものである。シーズン開幕までもっと練習しなければならないだろう。早朝野球のチームといっても、僕の入っているチームは強者ぞろいである。

夜、塾講師のバイトを終え、家に帰ると、昔の彼女から会いたいとか留守電に入っていた。別れたのはおまえが原因だろという気分だ。おっぽっとこう(これって方言かな?)。

1997年3月 4日

3月4日(火)晴

夕方、後期の成績表を取りに行った。2打数1安打である。野球ならまずまずだが、成績がこんなではいけないのである。またS部先生の授業を来年も取らなければならない。結構、出来たようなしてたのだが。

この日記、題名は「猛者日記」と強そうだがなんか、中身は書くこと書くこと気の抜けた内容ばかりだと思う今日このごろ。

1997年3月 3日

3月3日(月)曇

原付のライトを直そうと昼間いろいろ試みたのだが、結局直せず断念した。もう数ヶ月前からライトは壊れているのだ。おかげで、夜の外出には使えないでいる。

しかも、バッテリーももうほとんど使い物にならない状況で、替えなければならない。平成元年製なので、もうご老体だ。前に、パンクの修理のとき、バイク屋の兄ちゃんにも今度、何か起きたら買い替えた方がいいと言われている。そろそろ、買い替えを考えた方が良いのだろうか。しかし、金もない。(なんか悲しいなあ)

1997年3月 2日

3月2日(日)晴

桃鉄で負けた・・・。15年やって-10億円、トップまで約110億円差。今まで、常勝を誇っていた桃鉄であったのに・・・。負けてわかったが、このゲーム、めちゃくちゃ腹の立つゲームだ。弱者にひたすら厳しいゲームなのだ。そして、金は金を産みトップはひたすら独走する。あああああああああ、ムカつく。別に金とか賭けてたわけではないが、麻雀で負けるよりムカつく。たかがゲーム、されどゲームである。

1997年3月 1日

3月1日(土)晴

風が強い日だった。夕方から塾講師のバイトだったが、その風は自転車の前進を邪魔してくれるのであった。。だけど、さすが3月。風は今までのような冷たさはなかった。それだけは救いだった。

塾に行くと、お菓子の詰め合わせをもらった。半年くらい教えていて、この前、倉敷の高校に合格したH君からのお礼ということらしい。妙にそれは嬉しかった。