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1998年6月30日

6月30日(火)晴

学審議会でレジャーランド化している大学に対し、厳格な成績評価を発表した。せめて、今年だけはゆる~くしておいてほしい。来年からは、厳格にいきましょう。

今夜は飲み会があった。疲れた。

1998年6月29日

6月29日(月)曇のち晴

貴らに御殿場まで送ってもらいつつ帰名した。富士吉田はどんよりくもり、籠坂峠は霧だらけだったが、名古屋は快晴だった。やはり、異国の地だ。

1998年6月28日

6月28日(日)曇

前中、祖父と親父の7回忌があった。まあ、これ自体は30分も立たず終わった。

そして、昼は河口湖畔のホテルで会食。いとことかに会うのも久しぶり。皆ほとんど、酒を飲める年になった。俺も23になるわけだ。

1998年6月27日

6月27日(土)曇

夜は悪酔いした。朝方、ゲロゲロ。一人で飲んでゲロゲロなんつうのは生まれて初めてだ。

と、いっても、明日午前中から実家の方で法事があるので、今日中に帰らにゃならん。必死で帰還した。やっと、家に着くと、2日酔いによる頭痛をかみ殺しながら甥の隼人と遊んだ。正月に会った時にはやっと歩けるかどうかといったところだったが、もうしっかり歩けるようになっていた。

1998年6月26日

6月26日(金)曇

勝トーナメント進出の望みは消えていた日本ではあったが、最終戦ジャマイカ戦があった。楽観的な意見が多かったジャマイカ戦ではあったが結果は1対2の負けだった。結局、日本は予選リーグ3敗。得点こそ最終戦で呂比須-中山のベテランコンビでかろうじて得点は挙げたものの勝ち点は挙げられなかった。

今日は終幕したワールドカップフランス大会における日本を総括したいと思う。技術的な面、選手起用などは私が言えるような身分でもないのでとりあえず割愛。

よって精神的な面による総括となるが、はっきり言って日本はモチベーションが不足しすぎていた。明らかに、アルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカさえ終わってみると格上であった。しかし、目に入ってくる日本代表の姿はアジア予選、さらにはJリーグのおけるその姿とさして変わらなかった。負けているのに、城を中心に中田など笑顔を浮かべていた。そんなクールさはワールドカップでは通用する訳もなかった。

そして、岡田監督が当初言っていた「1勝1敗1分」。確かに妥当ではあるが、人間は楽な方向に進んでしまう生き物。目標は70~80%しか達成出来ないという説もある。そんなアホな~と言われながらも「3勝」と言っておくべきではなかっただろうか。

さらに、現在の日本代表のスタッフの問題。確かに有能な人材が集まっていたのかもしれないが、なにぶん、日本は初出場。ワールドカップに対する経験のあるスタッフが欲しかった。例えば、ジーコとか。アジア予選の危機を回避させワールドカップ進出へと導いた岡田監督ではあったが、所詮、まだ代行監督でしかなかったのかもしれない。

名良橋は大会前、「チーム(鹿島)のメンバーには悪いが、ワールドカップで全てを燃やしつくしたい」というようなコメントを残している。まさに、全員が最初から、この意気で臨むべきだっただろう。

ジャマイカ戦、0対2となってから得点を取ろうと選手が全員いきいきと動き出した。そして、次々と決定的なチャンスを奪った。アルゼンチン戦から通じてずっと椅子に座ってどっかり観戦していた私だったが、テレビの前まで乗り出して熱狂した。ついに、中山がワールドカップ日本初得点!。「鮮やか!」ではなかったが気持ちが入った実に素晴らしいシュートだった。

終盤、ワールドカップ初出場した期待の若手・小野も実にいい働きをした。平野も結構良かった。

2002年に楽しみな人材も出てきた。精神的な面、決定力不足(シュートはワクにおさめましょう!)など課題もしっかり露呈された。

最後。中継で「岡田、腹切って詫びろ」とヤジっていた福岡のたわけボケ! じゃあ、お前だったら何が出来るんだ? 勘違い野郎な福岡の君には、雑魚(ザコと読むんだよ)認定書とカス認定書をダブルで送ろう。

1998年6月25日

6月25日(木)曇

日は信号音声処理の中間テストがある。今夜は徹夜必至だ。それにしても、ここ数日、お日様を見ない。こう湿っぽい毎日だと気持ちにまでカビが生えそうだ。

1998年6月24日

6月24日(水)曇

96才の女性に懲役3年の実刑判決が下った。出所するのは99才だ。しっかり おつとめ は出来るんであろうか。そんなことを思わせる事件である。

しかし聞くと、結構笑えない事件。自分が死んだ後の、知的障害の息子(63才)の行く末に悲観した母親が無理心中、だが自分は死にきれなかったという事件なのである。

1998年6月23日

6月23日(火)雨

の時期、朝5時にはもう外が十分に明るい。こんな明るい時間に寝ているなんてもったいないという考えがサマータイム制の考え。それぞれ時刻が1時間早まり、今の5時が6時になる。そうすれば、夕方は8時半近くまで明るいことになる。つまり省エネにつながるわけでこんなことから、地球温暖化を防ぐために政府が考えた策の一つに「夏時間」があるらしい。

昼が長くなるという点でぜひ導入されて欲しいと思うとともに、夜が短くなるので導入されて欲しくないような気も。

昭和20年代に日本でも4年間、導入されたことがあったが、結局、労働時間が長くなっただけで廃止されたと経緯もあるという。また、同じようなことがおこるような気もするなぁ。

1998年6月22日

6月22日(月)雨

日も雨だ。週間予報に晴マークがない。外が晴れてないとなんか憂鬱だ。早く来い、梅雨明け。

1998年6月21日

6月21日(日)雨

、大変なレポート地獄に襲われている。おまけに、今週金曜には中間テストがあり、7月3日までには英語の論文を12ページほど読みこなさなければ・・・。そんなわけで朝から図書館に行こうと思っていたが、外は雨。そして、体がトロけて一日寝て過ごしてしまった。反省。

ところで、夜、アルゼンチン対ジャマイカ戦を観た。アルゼンチンがジャマイカに5-0と大勝し、日本の決勝進出は約0から完全に0になった。

1998年6月20日

6月20日(土)晴

、対クロアチア戦。0対1で敗れた。善戦はしたが・・・。所詮善戦である。これで、予選通過の可能性は限りなく0に。わかっていたことではあるが、わかってみるとさびしいねぇ。

ところで、なんか今日はあっさり負けたという印象だ。気付いてみると今、代表の中でファイタータイプの人間は中山だけである。こんな時こそ、闘志を全面に出して戦える選手、そう北沢やカズが必要だったかも・・・。アジア予選最終戦で途中交代させられた時のあの醜いほどのカズのアピール、今はそんな執着心が懐かしい。まあ結果論ではある。

昨年のアジア予選後、もてはやされた岡田監督も単なるオヤジに見えてきた。言い過ぎかな?

1998年6月19日

6月19日(金)雨

日は朝から雨が降りつづけた。特に、夜には激しい雨が降ったけれど、夕方4時頃と夜10時頃と近所の同じような場所で2件の追突事故を見かけた。気を付けたいものである。

1998年6月18日

6月18日(木)晴

よいよ対クロアチア戦が2日後に迫ってきたが、クロアチアの中心選手・ボバンが怪我で出られないかもしれないと報じられている。また、イランみたいにダマシじゃないやろな。

1998年6月17日

6月17日(水)晴

気予報では雨だったのに晴れやがった。以上。

1998年6月16日

6月16日(火)晴

になんもなし、今日は。

1998年6月15日

6月15日(月)晴

者日記5月10日号より
城南電機のあの宮地社長が昨日朝、お亡くなりになったらしい。ご冥福をお祈りしたい。これから、城南電機はどうなっていくんだろう。まあ、あまり興味はない。
廃業らしい。

1998年6月14日

6月14日(日)雨

ールドカップに、ついに日本がデビューした。対アルゼンチン。結果は0対1。まあ、善戦したというところだろうか・・・。

1998年6月13日

6月13日(土)雨

んもなしな日。

1998年6月12日

6月12日(金)晴

日今日と梅雨の真っ只中なのにいい天気だった。やっぱり、晴れの日は気分がいい。ただ、明日からは天気が崩れてくるらしい。残念。

1998年6月11日

6月11日(木)晴

ールで就職試験の結果が届いた。内定確定だ。これで一安心だ。

1998年6月10日

6月10日(水)曇

職試験の結果がそろそろ来たりする頃だが、今日、家でご飯を盛ろうとしたらシャモジが折れた。なんか縁起ワリぃ。

1998年6月 9日

6月9日(火)雨

タなし。

1998年6月 8日

6月8日(月)晴

んか夜に、どうしようもなく許せないことを思い出して、あまりに昔のことではあるが、キーボードを叩いてみることとした。それは11年前・・・。

それは、少年野球の校区大会のことだった。1回戦、我が竜ヶ丘はガチガチの優勝候補旭町と運悪く激突。案の定、1対6の劣勢であったが、私の満塁本塁打(悲しいことにこんなことはこの時以来ない)などで奇跡の逆転勝ち、死闘を7対6の勝利でおさめた。間違いなくこの時点で我がチームが優勝候補の1番手に成り上がった訳だが・・・。

次の試合は、なんと10分後。今、考えれば、んなアホなということだが、それがまかりとおっていた(現在、どういう状況で行われているかは知らない)。しかも、相手の幸町は不戦勝でそれが1戦目である。結果は0対15の惨敗。この結果はあたりまえの結果だ。2試合も連続で実力を発揮できるほど、小学生に体力があるはずがない。当時投手だった俺は、半泣きしながら連投したのを覚えている(しかも、当時好きだった女の子が見てたんだなこれが)。

この話は小6の時の話だが、小5の時も似たような状況で決勝で敗れ準優勝に終わっている。ふと、今夜、思い出した話だが、今でも思い出すと悔しくなるエピソードである。

1998年6月 7日

6月7日(日)晴

球の試合に行ってきた。遠路、岐阜市まで。先々週の日曜もあったのだが、すんでのところで中止だったので、実質、今日がこのチームにおけるデビュー戦だった。3打席1打数0安打1打点1三振。まあ、こんなとこか。なにより、守備機会がかなりあった中で無失策だったことが一安心だ。現役の頃より調子がいいかも。

1998年6月 6日

6月6日(土)曇

日、野球の試合があるのでバッティングセンターに行くなどぷらぷらと一日を過ごしたのであった。

1998年6月 5日

6月5日(金)曇

杯寸前で代表を外れたカズ、北沢が帰国、記者会見を開いた。数年前まで、カズと言えば日本サッカー界の大ヒーローだった。そんな選手の代表落ち。さびしい気はするが、現状から考えると致し方ない気もする。まあ、とにかく日本代表には頑張ってもらいたい。

1998年6月 4日

6月4日(木)晴

日、ドイツの新幹線「ICE」が時速200キロで脱線したということだ。今日、新聞で写真を見たが、とても、本物とは思えないような光景。まるで、子供がおもちゃの電車をちらかしたような光景だった。死者も90人を越したとのこと。おそろしい。原因究明が待たれる。

1998年6月 3日

6月3日(水)雨のち曇

ールドカップの開幕が間近になってきている。今日、日本はワールドカップ前最後の 国際Aマッチ「対ユーゴスラビア戦」があった。ユーゴがどれだけ本気を出しているかはわからないが、前半は結構、日本が押し気味の試合だった。なかなかいい形の攻めも出来たのではと思っていたが、後半になると、形勢逆転で結局0対1で負けた。

中田、中山が各1回ずつキーパーと1対1になった。しかし、ともに決められなかった。なにより日本の弱点は決定力不足だ。ところで、川口は冴えていたように思う。2年前、アトランタであのブラジルの猛攻をことごとく防いだ時を思い出すキレがあった。

1998年6月 2日

6月2日(火)雨

接に行ってきた。個人面接だけとおもいきや、集団面接→性格検査(?)→個人面接の3本だてだった。午前中だけで終わったけれど、ゲンナリだ。メッキをはがされまくった感じ。特に、プレゼンはイマイチ。それ以外は、終始和やかな感じではあったが、笑顔で不採用なんてこともあるんだろうなぁ。まあ、どちらにしろ、もう採用or不採用を待つだけとなった。

1998年6月 1日

6月1日(月)曇

よいよ、明日に差し迫ってきた個人面接のプレゼン。午後から研究室で練り上げて、OHPフィルムをうんとこさとして作り上げ、家に引き返す。そして、プレゼンの練習を一応した。