このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年12月10日

12月10日(木)晴

後から研究室対抗のサッカーがあった。サッカーは自分の分野じゃないことを痛感した。終わった後、ものすごい虚無感だけが残った。結局、うちの研究室は全敗やし・・・。やはり、俺にとってサッカーは観るスポーツや。

1997年12月10日

12月10日(水)晴

10月に第2種情報処理を受けたが、めでたく受かった。これで、普通車免許に続いて2つめの免許・資格だ。

ところで、今日、韓国ヘテの李鍾範の中日への入団が正式に決定したらしい。なかなか楽しみだ。

1996年12月10日

12月10日(火)雨

 最近は、昼12時頃寝て、夜7時頃起きる生活。午前と午後、ちょうど12時間ずれた生活をしている。今日も深夜は郵便局のバイト。明日は、やっとバイト休みの日だ。

1997年6月14日

6月14日(土)晴

午前中、名大軟式野球部とジーニアスの練習試合をした。どちらも自分が所属しているチームなのだが、今日はジーニアスの方に入った。結果は5対2でジーニアスが勝ったわけだが、自分としては、試合中非常に複雑な心境だった。どっちが勝ったほうがいいのかわからなくなるわけだ。でも、チャンスできっちりタイムリーを打てたので良かった。エラーはしたけど・・・。

1998年3月 6日

3月6日(金)晴

一で横浜から新幹線で帰ってきた。行きは夜行でトコトコ来たものだからそれに比べて、新幹線は速い速い。あっという間。9時には名古屋に着いた。夜は久しぶりの友人と飲みに行った。

1998年9月 9日

9月9日(水)晴

グワイアがついに世界新の62号を放った。すごい。ところで心配されたホームランボールの行方は、観客席のいないスタンドギリギリのところに入ったために係員の手に。無事、マグワイア本人の元へ運ばれることだろう。

ここ数日、話題の若乃花、貴乃花の兄弟仲問題。話は驚くべき方向に・・・。今日のワイドショーにおける二子山親方のインタビューによると、貴乃花が整体師・冨田氏という人物にマインドコントロールされているというのだ。冗談みたいな話だが、状況からいって本当の話であろう。

しかし、考えてみれば人間誰しもが、少なからず周囲の人物に影響を受け、そうした中で自分の考えといったものが形成されていく。だからなにも、マインドコントロールされるというのは、特殊な事ではないのだ。ただ、自分の心をある特定の個人に操られないためにも、いろいろな人の考えを知り、広い目を持たなければならないだろう。貴乃花はその点、若くから注目される立場で周囲の雑音も多く、それが難しい状況だったのかもしれない。冷静な目を養いたいものだ。

1997年10月 9日

10月9日(木)晴

今朝の名古屋の最低気温はいよいよ10度を切ったらしい。日に日に秋めいていく。さびしい気分だ。ちなみに僕は冬が嫌いだ。

1999年4月19日

4月19日(月)雨

今日からまた会社かぁ。今朝もまた雨模様。雨の日は起きるのもつらい。今日から研修はワークショップが始まった。8時まで居残りで話し合い。疲れました。

1999年4月22日

4月22日(木)晴

ワークショップのクラス発表会。我々の班は苦労の甲斐ありクラス代表になった。夜はNPE研修の約100人で飲み会。久しぶりに飲みすぎた。

1998年12月18日

12月18日(金)晴

在、タイ・バンコクでは盛大にアジア大会が開かれている。このなかで、16日の新聞に奇妙なルールの記事を見つけた。3位なのに銅メダルをもらえなかったという記事だ。この理由は、アジア・オリンピック評議会(OCA)に1カ国でメダルを独占しないという憲章があるためである。そのため、1-3位を同じ国で独占すると、3位の選手は銅メダルをもらえないらしい。

なんとなく、この憲章のいわんとするところはわからないでもない。ただ、そんな形で3位なのに銅メダルをもらえない選手、4位なのに銅メダルをもらう選手はどんな気持ちなのだろうか。3位の選手にしてみればなぜもらえないんだという気持ちであろうし、4位の選手にしてみてもその銅メダルに何の意味があるのだろうか。この憲章は国単位のことしか考えておらず、まるで選手単位のことは無視されてる悪法と言っていいだろう。

さらに問題なのは、このアジア大会におきこの規定が不統一であるということ。ボウリング女子、アーチェリー女子個人では「1カ国でメダルを独占しない」というOCAの規定が適用されたのに対し、馬術の馬場馬術個人では韓国選手が1-3位を占めたが、独占を認めている国際競技連盟(IF)の規定によりそのままメダリストとして表彰された。