このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年11月21日

11月21日(土)曇

から、名大軟式野球部OB戦があった。我が97年度卒業軍(俺は卒業してないが・・・)は順当に勝ち進み決勝へ。しかし、決勝で現役軍に敗れ準優勝。残念。だが、久しぶりの仲間と久しぶりに勝負色の強い野球が出来て、楽しかった。1日3試合は異常なほどに疲れたが・・・。それにしても、我がチームは寒さ、風にたたられることが多かった。今日も例外ではなかった。

夜、今池でOB会が行われた後、数人の連中で我が家で飲み直していたが、1日3試合の疲れはやはり偉大で、知らぬ間に皆、意識を失っていた。

1997年11月21日

11月21日(金)曇

ドラフト会議、注目の平安・川口は4球団に指名されつつも、見事、意中のオリックス・仰木監督に交渉権を引き当ててもらった。すごい運だ。

その影でしょうこりもなく意中外の烙印を押されながら1位指名を強行していたチームがあった。その名も「近鉄バッファローズ」。思えば、2年前、巨人、中日を逆指名していた上宮・福留の指名を強行。誰かさんが「ヨッシャー」と言って交渉権を引き当てたが、結局、口説き落とすことが出来ず。その後、日本生命に入った福留に、大阪ドーム落成記念かなんかの試合で近鉄は本塁打を浴びている。コケにされまくり状態である。

小池(現・近鉄)にフラれたロッテ、元木(現・巨人)にフラれたダイエー。みんな反省して、その後は無謀な指名は避けているのに。天晴れ!近鉄バッファローズ!僕は、そんな近鉄に交渉権をあげたかった。

1996年11月21日

11月21日(木)晴

 午前中は、授業にでた。まわりに、知っている人間がほぼ皆無なだけに、授業に集中する。自分とは思えぬほど授業中勉強している。感心。

 週末にバイトをする関連で、内外学生センターへ登録しに行った。初めて行ったが、短期のバイトをするにはかなり使えそうだ。また、来ようと思う。

 ところで、この後、家に帰ったのだが、ここから爆睡。家庭教師に遅れてしまう。まさか、理由が寝坊などとは言えない。

1998年4月15日

4月15日(水)曇

日の夕方、研究室配属の希望が締め切られた。結局、O研究室を希望。しかし、予想通りの熾烈な争い。定員6人のところ、10人の希望者。6/10の確率、勝負は明日の午前中、決する。

1999年9月26日

9月26日(日)

昼過ぎにやっと起きた。江ノ電の旅なんてのも企画されていたがあまりにも始動が遅くなってしまったためボツ。回転寿司行って家へ帰って酒飲んだ。

1999年2月 3日

2月3日(水)曇

2時から2時まで寝てしまった・・・。その後、研究室に行き卒論。卒論締め切りまであと7日。

1998年7月17日

7月17日(金)晴

本首相辞任に伴う、自民党総裁選が小渕氏に加え、梶山氏、小泉氏の出馬でにわかに活性化してきた。冠詞にはそれぞれ「人柄の小渕」「乱世の梶山」「政治異端児の小泉」といったところがつくらしい。そして、どうも状況としては小渕氏有利という状況のようだ。

しかし、私は「小渕首相」には反対だ。確かに、日本の状況が平穏な状況ならば、小渕首相はいいかもしれない。ただ、今の日本は大不況、まさに乱世である。乱世において「人柄」のいいリーダーは不適である。

戦国時代の織田信長しかり、近代ヨーロッパのナポレオンしかり、乱世をおさめるにはやはり独裁者的な強引さが必要なのではないだろうか。

また、乱世をおさめる国民を引き付ける弁舌さも必要なのではないだろうか。その点でも、出馬表明における、原稿を見ながらの小渕氏の演説に、私は頼りなさを感じた。

とにかく、日本の明日を方向づける自民党総裁選挙は7日後。

1998年7月26日

7月26日(日)晴

昨日亡くなった大学の学科の友人の葬儀に行ってきた。いまだに彼が死んでしまったということが認識しきれない所がある。

雲一つなく晴れ渡り、暑い一日となった。同様に彼もアツい男だった。非常に出来る男だった。彼とは1、2年の頃、学科のみならずクラスも一緒であった。そのため、いつも、いろいろとわからないことを教えてもらったりしていた。UNIX、インターネット、その他もろもろ彼に教えてもらったことは計り知れない。このホームページも彼がいなければ、存在したかどうか。

情報の学科で仲の良かった7人のメーリングリスト「7ml」を作ってくれたのも彼であった。今日、そのメールなどを読み返してみた。なんとも言い尽くせないものがあった。

1999年1月 4日

1月4日(月)晴

今回、実家の富士吉田へは大晦日に中央線で、しかも長野まで大回りしてのんびり帰ってきたわけだが、このルートが結構好きだ。中央線は大自然の中をぬって進み、日本の気候の豊かさを感じる。「トンネルを越えるとそこは雪国だった」とは川端康成の「雪国」だが、そんな場面をまま目にすることができる。暇な人にはおすすめだ。

1999年7月19日

7月19日(月)曇

夕方までH野宅で世話になった後、夕方はS木と焼肉食い放題に行った。ヤツの焼肉食い放題好きは相変わらずだった。その後、S木とビリヤードをしつつ、バイトだったH野、M田さんらと合流。朝方まで麻雀した。次回までにH野&M田さんの麻雀力が上がってることを望む。そうすれば、夏目さんくらい賭けられるんだよね。