このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年9月19日

9月19日(日)

横浜スタジアムへ横浜中日戦を見に行った。当然ドラゴンズの応援に。しかし、試合は0対1の完封負け。試合時間も2時間5分。非常に山場のない試合だった。

1998年9月19日

9月19日(土)晴

ンマープライスで落札額ランキングをやっていた。数年前にも同じようなことをやったと思うが、その時の最高額は「藤井フミヤがあなただけにTRUE LOVEを歌ってくれる権」の123万円だった気がする。ところが、今日見ていたらこれがいつのまにか20位になっていた。そして、1位は「プリプリの6人目のメンバーになれる権」で453万円だった。う~ん、この番組の落札額の相場の高騰ぶりがわかる。

世間は不況不況と言っているが、なんだかんだいって日本人は裕福だ。まあ、こういう感じでいろんなところで金がくすぶってるんだろうな。

1997年9月19日

9月19日(金)晴

夜、ワールドカップ最終予選、対UAE戦を観た。アウェーの試合であったが、なんと、38度だという。とんでもない暑さだろう。とても、サッカーなどやる気温ではない。常人なら間違いなく倒れる。想像しただけでも胃から熱いモノが込み上げてきそうだ。試合は、決定的な得点機を幾度か得た日本ではあったが0対0の引き分け。勝つに超したことはないのだろうが、上出来だろう。次は国立で対韓国戦。負けられない一戦だ。

ところで、今日の広島対巨人戦で広島・前田が6打数6安打だったらしい。5打数5安打だったら聞いたことがあったが、6打数6安打なんてのは初めて聞いた。実際、過去にそんな記録あったんだろうか? とにかく、すごい選手だ。足に爆弾抱えているのが残念だ。

1998年2月14日

2月14日(土)曇

今日はバレンタイン。けど今年も義理オンリーだ。

1997年12月 9日

12月9日(火)曇

来年からプロ野球を退団した選手がその後、社会人野球でプレーできることになった。その昔、社会人の有力選手をシーズン途中で引き抜いたという「柳川事件」以来、あった壁が一部取り払われたのである。これまで、日本の野球界はプロとアマチュアで非常に厚い壁があった。その壁がすこしずつ取り払われていくことは、良い傾向であると思う。

プロとアマチュアの交流という点では、サッカーは面白い。その象徴的なものが今、開催されている「天皇杯」だ。Jリーグのチームはもちろん、JFL、大学、そして高校生のチームまでもが同じ土俵で戦う。なかなか下剋上は難しいようだが、高校生のチームがもしかしたらJリーグのチームに挑戦しうることに十分な価値がある。

野球でこの「天皇杯」のような大会が実現できたら、どんなに面白いことだろう。桑田、清原のいたPL学園と当時最弱だったヤクルトの対決など見てみたかった。ただ、野球の場合は使用バットの違いなどもあり、まだまだ実現は苦しいかなと思う。

1999年1月29日

1月29日(金)晴

13時間爆睡してしまった。よー寝た。

1998年7月20日

7月20日(祝)曇

日、高校野球青森県大会2回戦、東奥義塾が深浦高校を122-0というとんでもないスコアで下すという試合があった。実に東奥義塾は7本塁打含む86安打、76盗塁を記録した。

この122-0というスコアは地方大会も含めて最多得点記録らしい。まあ、すごい記録だと思う人も多いことだろう。

ただこれは、異論のある方もあるかとは思うが、野球という名を借りた「リンチ」である。アメリカ大リーグなどでは、試合の決した試合で、勝っているチームの方は、積極的に攻撃に出ないという。先日も、パ・リーグの試合で外国人投手(誰かは忘れた)が大量リードにもかかわらず、送りバンドを試みてきた近鉄ベンチに激昂したという一件があった。

そんな点からみても、86安打はまだ許す余地があるとしても76盗塁はないのではないだろうか。かつて「松井の5打席連続敬遠」が大問題となったが、そんな問題よりずっとこの「122-0」には問題を含んでいる気がする。

くしくも、今日、東奥義塾は田名部高校というところに3-14という大差で敗れ去った。

1999年9月25日

9月25日(土)

今日未明、S木とH野が名古屋から来襲。午後からラーメン博物館に行った。そこで東京に住むH川と合流した。その後、みなとみらいなんざへドライブしつつ中華街で夕飯を食った。

1998年6月 8日

6月8日(月)晴

んか夜に、どうしようもなく許せないことを思い出して、あまりに昔のことではあるが、キーボードを叩いてみることとした。それは11年前・・・。

それは、少年野球の校区大会のことだった。1回戦、我が竜ヶ丘はガチガチの優勝候補旭町と運悪く激突。案の定、1対6の劣勢であったが、私の満塁本塁打(悲しいことにこんなことはこの時以来ない)などで奇跡の逆転勝ち、死闘を7対6の勝利でおさめた。間違いなくこの時点で我がチームが優勝候補の1番手に成り上がった訳だが・・・。

次の試合は、なんと10分後。今、考えれば、んなアホなということだが、それがまかりとおっていた(現在、どういう状況で行われているかは知らない)。しかも、相手の幸町は不戦勝でそれが1戦目である。結果は0対15の惨敗。この結果はあたりまえの結果だ。2試合も連続で実力を発揮できるほど、小学生に体力があるはずがない。当時投手だった俺は、半泣きしながら連投したのを覚えている(しかも、当時好きだった女の子が見てたんだなこれが)。

この話は小6の時の話だが、小5の時も似たような状況で決勝で敗れ準優勝に終わっている。ふと、今夜、思い出した話だが、今でも思い出すと悔しくなるエピソードである。

1997年11月 8日

11月8日(土)晴

Wカップ最終予選。日本はカザフスタンに勝ちB組2位が決定した。用事があって観ることは出来なかったが、とりあえず、良かった。次は、16日の第3代表決定戦だ。相手はサウジかイラン。今の流れで行けば勝てるだろう。