このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年6月 7日

6月7日(日)晴

球の試合に行ってきた。遠路、岐阜市まで。先々週の日曜もあったのだが、すんでのところで中止だったので、実質、今日がこのチームにおけるデビュー戦だった。3打席1打数0安打1打点1三振。まあ、こんなとこか。なにより、守備機会がかなりあった中で無失策だったことが一安心だ。現役の頃より調子がいいかも。

1997年6月 7日

6月7日(土)晴

うーん、今日は実にさわやかな天気だった。早朝はジーニアス(僕の所属する野球チーム(←このところレポート漬けでこの日記までちょっとレポート調。))の野球の試合があった。試合結果は11-0。いつものとおり勝ちだ。自身ヒットも打ちノーエラーで無難なのだが、スローイングとかバッティングとかで足腰の粘りのなさを感じた。ちょっと走り込みが必要だな。

そして、午前中から図書館で今日も実験レポートに勤しむ。幾分か9日の締め切りまでに仕上がる目処もついてきた(謝 to S木T聡)。一時期の危機的状態によるブルーな気分もだいぶ晴れてきた。実験レポートという巨大台風がとおりすぎるのも間近だ。その後は、台風一過の快晴といきたいね。

1999年4月27日

4月27日(火)曇

仕事が終った後、バッティングセンターへ行ったのだがストラックアウトでついにパーフェクトを達成した。さぞやいい商品をもらえると思った。そしてその商品はフラワーギフト券1万円分。「よっしゃ!」と一瞬思ったのだが、バッティングセンターの前にある花屋でしか使えないらしい。にんともかんとも。いまいち使えない。

1997年3月28日

3月28日(金)晴

軟式野球部の公式戦に今日も出場してきた。今日の結果は松阪大相手に0対1。4試合目のサードでやっとノーエラーだった。だんだん守備の感覚は戻ってきた。その点は評価できるのだが、打撃では、一死三塁の同点機でランナーを返せなかったのが反省材料だ。

負けて満足してはいけないのだろうけど、ここ2,3試合の守乱を考えるとチーム無失策という点で少し満足してしまうのだった。

1998年4月 9日

4月9日(木)雨

知の十四山村で18才の二女が20才の長女を放火殺人するという事件があった。なんとも恐ろしい。

1997年11月 3日

11月3日(祝)晴

おととい、MYCOMから就職情報の案内のハガキが来たばかりなのに、今日もMYCOMからハガキが届いた。と良く見たらおととい来たのは理系3年対象。今日のは理系4年対象。留年しているとこういうことが少なくない。

1997年4月16日

4月16日(水)晴

ゴヤドームにオリックス戦を見に行ってきた。ドームの中身を見た瞬間、興奮のあまり、妙な汗をかいた。非常に美しかった。なにか、あまり球場という雰囲気がほとんど感じられないほどきれいだった。

今日は、生のイチローもはじめて見たのだけど、凄い人だ。スローイングの一つをとってみてもすばらしい。見ていて美しい。守備の時の動作はなにも無駄が感じられない。打っても、見せてくれた。低めのボールをフェンス直撃二塁打を放った。

あのオーロラビジョンに自分が映ったのも興奮した。1600円としては満足だ。あとuccの売店で売っているハム&チーズのパニーニもうまかった。

1999年3月28日

3月28日(日)曇

今日は藤沢へ引越し。なかなかいい部屋だ。コンビニが遠いのは難点だけど気に入った。これからは荷物を片付けるのがタイヘンだ。

1999年7月 8日

7月8日(木)晴

これだから野球は面白い。会社から家に戻ること9時過ぎ。BSで阪神対ヤクルト戦を観た。イニングはすでに9回裏で6対2、ヤクルトの4点リード。ゲームの焦点は専ら、ここまで14奪三振を奪っている石井一久の奪三振だった。

しかし、矢野四球、ブロワーズヒットで無死一、三塁となって、さらにつづく八木の平凡なファウルフライを古田とペタジーニが交錯する形で落球。

経験上、ファーストがファウルフライを落としたとき、その後、丸く収まることはない。今日も例外ではなかった。結局、八木は四球で無死満塁。新庄が2点タイムリーで2点差になると、一死ニ、三塁から代打ジョンソンがサヨナラホームランだ。一挙に5点を挙げてのサヨナラ劇。野球の醍醐味を味わえる試合だった。という訳で猛者日記も1ヶ月半の沈黙を破って復活。