このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年8月20日

8月20日(金)曇

今日の甲子園準決勝、2試合とも素晴らしい試合だった。去年とは違い取りたててスター選手がいない(というか去年が異常だったのかな?)今年だがやはり勝ち残るべくして勝ち残った4チームであったと思う。今週に夏休みを取って遊ぶ相手がいなくて残念だが、甲子園の一番の旨みの部分を堪能できて良かったといえば良かった。(でも、やっぱり来年は出来ることなら皆が休んでる時に休もう)

1998年8月20日

8月20日(木)晴

子園準々決勝第1試合、横浜対PL学園。春の準決勝にもあったこの対決、その時は横浜が逆転勝ちで勝っている。事実上の決勝戦と思われる対決。朝8時30分からの試合であったが、早起き(?)して観戦した。この試合は想像を越える、そして球史に残る好ゲームとなった・・・。

横  浜 000 220 010 010 000 12=9
PL学園 030 100 100 010 000 10=7
	(延長17回)
両チーム一進一退の試合となった。3時間37分の死闘。試合が終わると観戦している俺までも熱いものが込み上げた。横浜の春夏連覇説が大いにささやかれる中、ベスト8敗退説を戦前から唱えていたが、脱帽だ。もうこりゃ連覇でしょ。しかし、横浜エース・松坂は17回を投げ抜き250球を投じた。それだけが不安材料。

1997年8月20日

8月20日(水)晴

今日は朝8時から夕方6時まで、「地下水位の測定」なる日払いのバイト。要するに、地下鉄工事の上での地下水位の状況の調査らしい。仕事の方はおおよそ10分おきくらいに、水位を専用のメジャーで測るだけなので楽だった。ただ、今日は快晴。お日さまが最大の敵だった。腕だけ真っ黒に焼けた。しかし、1万円の仕事としては割にオイシい仕事だった。

1997年4月11日

4月11日(金)晴

日から、授業が始まった。今年は、去年の週休5日から平常の週休2日に戻る。1年ぶりに大学生復帰といった気分だ。

それから、数ヶ月前話題になった「ファイナルファンタジーⅦ」をH川くんに借りた。わざわざ、向こうから電話をかけてきてくれた。好青年だ。

1998年7月10日

7月10日(金)曇のち雨

日は夜、久しぶりに雨が降った。バイトの帰りに雨に襲撃された。ど~も、梅雨はまだ明けていなかったらしい。

今日、ニュースステーションでは明後日に参院選投票日をひかえ8党党首の公開討論をやっていた。今回は、投票に行こうかな。

1998年5月 8日

5月8日(金)雨

し暑い一日だった。こんな日の地下鉄は最悪だ。

1997年2月10日

2月10日(月)晴

 がなまっているような気がして、夜、3キロ走ってみた。去年の11月、野球のシーズンが終わって以来、ほとんど、運動などしていなかった。しかし、去年一時期走っていた頃は、軽く走れていたコースだったので、軽い気持ちで走ったのだが。

 運動不足とは、恐ろしい。走り終えると、「ひざが笑う」というまさに、その状況。キーボードをたたくのも、すこし力が入らない。明朝の筋肉痛は必死だ。

2001年9月25日

9月25日(月)晴

憲法第9条

あのアメリカの悪夢からちょうど2週間。すっかり世界はこの事件でもちきりだ。世界は報復戦争へと加速し、テロへの不安からか「22日に西海岸で再びテロが起きる」だとかノストラダムスの予言に今回の件が予言されていただとかいろいろな情報が錯綜する。

我々、日本はどうだ。方向はすっかりアメリカの報復戦争への自衛隊後方支援へと向かっている。

平和憲法をうたう日本国憲法の個性はどこへ行ってしまったのだと言いたい。後方支援は武力行使ではないというがこちらには詭弁にしか聞こえない。

殺人しようとしている人間に拳銃を渡したらそれはどうなんだろう。

130億ドルもの経済支援をしながらまったく国際的に名を上げられなかった湾岸戦争の教訓とも言われるが、それのどこが悪い。それが日本の個性だ。何を言われようが平和憲法を持つ日本の個性だ。

武力行使の後方支援をしてしまえば、もはや「平和憲法」なんてことを「日本国憲法」に対して称することは恥ずかしくてできないだろう。日本も立派な武力国家の仲間入りだ。


1999年10月20日

10月20日(水)

自衛消防隊の打ち上げがあった。たらふく飲んでたらふく食った。

1998年6月27日

6月27日(土)曇

夜は悪酔いした。朝方、ゲロゲロ。一人で飲んでゲロゲロなんつうのは生まれて初めてだ。

と、いっても、明日午前中から実家の方で法事があるので、今日中に帰らにゃならん。必死で帰還した。やっと、家に着くと、2日酔いによる頭痛をかみ殺しながら甥の隼人と遊んだ。正月に会った時にはやっと歩けるかどうかといったところだったが、もうしっかり歩けるようになっていた。