このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記,旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年9月28日

9月28日(火)

S木とH野が遊びに来てからプレステ熱が復活してしまった。おかげで睡眠不足な毎日。

1998年9月28日

9月28日(月)曇

なんもなし。

1997年9月28日

9月28日(日)曇

今日の神宮外苑スポーツスペシャル、第1弾のサッカー日韓戦は山口の巧みなループシュートで後半先制。しかし、終了間際、守りに入った日本は立て続けに得点を決められ1対2で逆転負けした。2002年がワールドカップ初出場になってしまうのか?

第2弾、昼の神宮球場で慶応の高橋が田淵の持つ東京6大学野球本塁打記録22本を29年ぶりに更新した。高橋よ、巨人には入らないで!

第3弾、夜の神宮球場で昨晩優勝に王手をかけていたヤクルトが阪神に16対1の快勝。優勝を決めた。

さあ、明日のスポーツ新聞1面はどう来る?

ところで、夜、餃子のO将で飯を食っていたら、ゴキブリ君登場。最悪。

1997年6月25日

6月25日(水)晴

レポートが出た。A4で5枚以上。くそ高い教科書2冊も買わせるわレポート出すわ嫌な先生だ。学生泣かせだ。

1998年2月25日

2月25日(水)曇

大津地裁で検事のパソコンが故障。論告文が消去してしまったために裁判が延期するという事件が新聞に載っていた。ハードディスクがすっかりあたりまえのものとして普及した現代らしい事件だ。やはり、2次メディアにしっかりバックアップしておくことが大事だと痛感する一件である。他人事とは思えない事件である。

1998年9月 7日

9月7日(月)曇

今日ふと考えたこと。野球ではどうして、一塁に走る時だけは駆け抜けていいのだろうか。二塁、三塁の時はベースについても離れたらタッチアウトされるが、打った後の一塁の走塁だけは駆け抜けてもOKである。

この謎を解くべく、駆け抜けが不可の場合を仮定してみた。一塁ベースをついた後に、ベースから離れたらいけないので、当然、スライディングをすることになるだろう。際どいタイミングならともかく、明らかにアウトの場合もエラーする可能性を考えスライディングしなければならない。うーん、大変だ。ユニホームはあっという間にボロボロになりそう。スポーツメーカーは大儲けだ。対して、選手はユニホーム代がかさみそう。金がかかるゆえに、野球人口も減ってしまう。なるほど、これは貧乏人救済のために作られたルールだったのか。

1997年5月16日

5月16日(金)曇

よく「どこどこのだれだれ」と言われるが、こう呼ばれた人であまり大成した人を聞かない。九州のバースと言われた福岡第一高の山之内も結局大成せず、プロを辞めた後、恐喝かなんかで捕まった。台湾のイチローという触れ込みで来日したルイス(巨人)も今は、首の皮が切れる寸前である。所詮、台湾のイチローは台湾のイチローどまり。アジアイチロー選手権をやったら、イチローが優勝するんだろう(ん?強引な論理だ)。

1998年7月 9日

7月9日(木)晴

昨夜(?)も、フランス対クロアチアのワールドカップ準決勝で夜更かし(?)。初出場でもあり日本も戦ったクロアチアを応援していたが、善戦むなしく負けた。今日も一日眠い一日だった。

1996年11月19日

11月19日(火)晴

 朝方、家に帰るとひたすら眠り込んでいた。起きたのは夜9時前だったか。よって、日記に書くようなことはなし。

1998年12月20日

12月20日(日)晴

18日の日記に書いたアジア大会の「メダル独占」問題。なんと同一国が1-3位を独占した種目に関し、3位の記録を抹消、以下を繰り上げにするという。すげえメチャクチャな話だ。だったら、最初から各国から代表は2名だけとかしとけばいいのに・・・。

今日は昼間、栄-矢場町-大須ラインを歩き回った。年末で日曜日とあり、いやというほど人がいた。特に今月南館がオープンしたパルコは大混雑。今回のところは一通り様子を見ただけで店を出てきた。しかし、歩いてみると矢場町と大須は非常に近いことに気づく。街の雰囲気がぜんぜん違うので、遠く感じるのだが。

そういえば大須で偶然、S木に出会った。これから帰って、自作マシンを製作するという。ということで、夜、S木家にオジャマして拝見。意外と手軽に自作できるような気がした。次にパソコン買うときは自作しよう。