このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年7月23日

7月23日(金)晴

日本のハイジャック事件史上はじめて死者が出た。ハイジャック犯人が機長を刺したのだ。その上、この犯人は操縦桿を握り、一時、飛行機は東京上空300メートルの高度まで急降下。機体は墜落の危機にさらされた。500人強の乗客、いやその何十倍、もしくは何百倍もの一般市民をもの命が危険にさらされたのだ。犯人は「シミュレータゲームが好きで飛行機を操縦して見たかった」らしい。際限なき怒りを感じる。実際社員が殺害された全日空の会見が異様に淡々としていたのが、さらに怒りを助長した。

1998年7月23日

7月23日(木)曇

夜、徹夜で勉強したおかげで今日の「伝送と符号理論」の試験は完璧近く出来た。まあ間違いなく単位を頂戴できるだろう。

ところで、いきつく暇なく明日の研究発表の準備をしなくては。今夜も眠れない。

1997年7月23日

7月23日(水)晴

今日も昨日に引き続き実験班で集まりまだ未完成のコンパイラ制作にとりかかった。今日は、配列変数への拡張にとりかかる。そして、夜に完了。あとは、関数とforwardの拡張で終わりだ。それを終えて、レポート書いたらやっと夏休みが来る。

あと、日曜日、すっぽかされたバイト先から電話があり、給料はくれるのだという。まあ、当然といえば当然であろう。相手の都合で勝手に来れなかったのだから。けど、何も働いてないのに給料Getとはちょっとラッキー。日曜の怒りはほぼ消えた。

1998年8月11日

8月11日(火)晴

日、甲子園でレフトがフェンスに腕を挟まれランニングホームランになるという珍事件が起こった。野球ルールでは「フェンスなどにボールが挟まった際」は三塁打かなんかと定められていたはず。でも「フェンスなどに選手が挟まった際」のルールは当然、決まっていない。ゆえに、ランニングホームランとなってしまった。気の毒だ。

1998年5月19日

5月19日(火)曇

張で筆記試験があった。しかし、疲れた一日だった。朝7時半に家を出て、はるばる幕張に着いたのは昼頃。そして、5時まで筆記試験。英語が難しくてまるで出来なかった。落ちたかも・・・。夜は今回一緒だった、情報の修士の人と飲んでまた名古屋への帰途へ着いた。出張は大変だ。

1999年9月 8日

9月8日(水)

なんもなし。

2003年2月11日

家でのんびり

今日は家でのんびり昼間からワインなどを飲みつつ優雅に過ごした。
たまにはこんな一日も素敵だ。

1999年5月 9日

5月9日(日)曇

1週間前にぶつけた車を修理に出してきた。見積もりだと約10万。やっぱり安くないなあ。これから気をつけよう。

1998年6月 8日

6月8日(月)晴

んか夜に、どうしようもなく許せないことを思い出して、あまりに昔のことではあるが、キーボードを叩いてみることとした。それは11年前・・・。

それは、少年野球の校区大会のことだった。1回戦、我が竜ヶ丘はガチガチの優勝候補旭町と運悪く激突。案の定、1対6の劣勢であったが、私の満塁本塁打(悲しいことにこんなことはこの時以来ない)などで奇跡の逆転勝ち、死闘を7対6の勝利でおさめた。間違いなくこの時点で我がチームが優勝候補の1番手に成り上がった訳だが・・・。

次の試合は、なんと10分後。今、考えれば、んなアホなということだが、それがまかりとおっていた(現在、どういう状況で行われているかは知らない)。しかも、相手の幸町は不戦勝でそれが1戦目である。結果は0対15の惨敗。この結果はあたりまえの結果だ。2試合も連続で実力を発揮できるほど、小学生に体力があるはずがない。当時投手だった俺は、半泣きしながら連投したのを覚えている(しかも、当時好きだった女の子が見てたんだなこれが)。

この話は小6の時の話だが、小5の時も似たような状況で決勝で敗れ準優勝に終わっている。ふと、今夜、思い出した話だが、今でも思い出すと悔しくなるエピソードである。

1998年4月25日

4月25日(土)曇

鹿の小学校で3月下旬、差し入れのケーキに薬物が混入、教師たちが入院や頭痛を訴えていたと言う事件が発覚した。ここで、注目するのが誰が差し入れしたケーキかと言うことだが、今春まで勤務していた女性ということだ。まず、疑われるのはこの女性だろう。事実関係はわかっていないが真相はどうなんだろうか。