このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年8月19日

8月19日(木)曇

いやあ、今年のドラゴンズはやはり強い。巨人との首位攻防3連戦、見事3連勝だ。なにより勝ち方がいい。17日の第一戦は3点差を逆転してのサヨナラ勝ち。18日の第二戦は初回のゴメス3ランを守り切った。そして、今日は0-5の5点差を追いついた上での延長12回サヨナラ勝ち。すべて、1点差勝ち。これぞドラゴンズである。さすがに今年の優勝を確信しつつある。

1998年8月19日

8月19日(水)晴

、姉、甥、姪らと富士急ハイランドへ。非常に近所にある富士急ハイランドだが、入るのは実に久しぶりだ。空は晴れ渡り、暑い一日だった。

今日の甲子園第一試合、3回戦、豊田大谷対智弁和歌山の一戦。5-6で智弁和歌山1点リードで迎えた9回、豊田大谷は無死一、二塁の場面でプロ注目の古木が送りバンド。次打者・前田がタイムリーを放ち逆転、これが決勝点となった。この前田という選手は素晴らしい選手だ。古木にバンドまでさせ、さらに結果を出したのだから。---6年前、星稜対明徳義塾戦、松井への5打席敬遠が物議を呼んだ。この試合、この作戦が功を奏し明徳が2対1で勝ったものの、世論は明徳を叩きまくった。だが、これは松井の次打者が打てば良かったこと(たしか松井の次打者は完全に抑え込まれた)。明徳は作戦巧者であっただけで、汚い野球をしたでもなんでなかった---。どうしても警戒される大打者。その次の打者が重要になる。野球は個人戦でなく団体戦なのだから。

1997年8月19日

8月19日(火)晴

自作のTシャツをパソコンで作ろうと午後から道具を買い占めに大須に出かけた。といっても、買ったものはアイロンプリントシートとヘインズの青ラベルだけだ。家に帰り挑戦するが、アイロンプリントシートがインクジェットに対応していなかったために、うまくインクがのらずちょい失敗。残念。

1999年4月11日

4月11日(日)雨

休みもあっという間に終ってしまった。また明日から頑張るか。

1997年6月 8日

6月8日(日)曇

午後から、実験レポートを清書する作業に取り掛かった。そして、夜、清書は仕上がった。この1週間、本当に長かった。解放感・・・、おっと、こうしてはおれんかった。まだ、図が挿入してなかった。その数、34。今日も徹夜だ。

1998年3月22日

3月22日(日)晴

朝の新聞の3面記事にキューバの野球選手ら5人の亡命の記事が載っていた。記事によると、約150キロ北にある米フロリダ州キーウェストを目指したが、海流で東に流され約1300キロ離れたドミニカ共和国に半死半生の漂流9日間の末に着いたという。しかし、ドミニカとキューバには難民引き渡し協定があるらしい。いったいどうなるのだろう。

1996年11月28日

11月28日(木)晴

 昨日、なくして心配していた手帳は無事、帰還した。やはり、予想していた場所に忘れてきていたようだ。とりあえず、胸をなでおろす。実は、これで今月になって手帳をなくしたのは2回目。大きな声では言えないが、この手帳、本当は2000円のものを生協で値段をはりかえて1000円で買ったものなので、たたりが起き始めたのではないかと恐れている。

 授業が退屈だったので、2限から150友の会なる怪しげな会合(^_^;)でボウリングをした。彗星のごとく現われ、150を記録して、彗星のごとく消える目算が、もろくも崩れさった。104、117、ときて3ゲーム目、3フレームまでX、X、9/と猛ダッシュしたが、その後はスペアさえ取れず終わってみると129と凡記録で終わった。

 午後からは、塾で3時間、家庭教師で2時間とバイト。これだけで、1万を超えるのだから、この種のバイトはやめられない。

2002年9月 2日

謝罪会見。

雪印、日本ハムなど続々と大企業でスキャンダルが明るみに出ているが、今日は東京電力の謝罪会見だ。

しかし、こういった謝罪会見でいつも思うことだが、なんと原稿読んでるだけの会見の多いことか。
原稿見つめながら謝罪されても誰に謝罪しているかわからない。
そのくらいおうちで覚えて来い。

1999年4月13日

4月13日(火)曇

今日から研修で「ワークショップ」というのが始まった。グループで売れる商品を考え、提案するというもの。これから研修も大変になってきそうだ。

1999年3月17日

3月17日(水)晴

実は就職するにあたり中古で黒のサイノスを買った。それで今日、ドライブした。1年以上ぶりにハンドルを握り、冷や汗をかきつつの運転だったが、まあしばらくすれば慣れてくるだろう。