このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年4月 4日

4月4日(日)曇

やっと3日間の新入社員全体の研修が終了。この3日間のクラスで打ち上げの飲み会をした。久しぶりにテンションが上がった。あさってからの研修が開発製造部門でのものとなるのでほとんどの人とはもう会うことがない。少し寂しいね。

明日はお休み。休みがこんなに嬉しいのはいつ以来だろう。

1998年4月 4日

4月4日(土)晴

日は名古屋に帰る日。その日になってやっと富士吉田は晴れた。晴れてくれるとこの季節は実に爽やかだ。新富士の駅まで母親と姉貴らとで送ってもらった。姪の由梨も次に会う時はだいぶ大きくなっていることだろう。

1997年4月 4日

4月4日(金)雨

桜が咲き始め、見頃になった今日このごろ。しかし、雨がつづいている。今日、本来は悪友N島、F津と花見のはずであったが、急遽、真田家にての飲み会となった。

とりあえず、このメンツで飲むのも久しぶりだった。大学生生活も終盤に差し掛かってきており、なかなか、皆昔のように、毎週飲み会をするなどということもできないのだ。

あ、そうそう、今日は僕の22回目の誕生日であったのだが、2人ほど覚えていて電話をくれた。まあ、今年はこの覚えてくれたことだけで満足しておこう。ちなみに悪友N島、F津はまったく覚えていなかった。

2002年9月17日

新たな一歩。

日朝首脳会談が行われた。
長年、疑惑とされてきた拉致を事実として朝鮮側が認めた。
8人がすでになくなり5人は生きているという。
そんな中で、国交正常化に向け両国が共同宣言のサインをした。
日本の世論はもっぱら残酷だとはやし立てる。
しかし、歴史的に考えれば我が日本はよっぽど残酷なことをしている。
マクロ的に考えればお互い様だ。

多少のハードランディングという感はあるが、残酷な歴史は確実に「過去」のものとなろうとしている。


1999年1月 3日

1月3日(日)晴

今日はほとんど何もせず、家でのんびり。これから始まるであろう、卒業研究の追い込みに向け英気を養うか。

1999年8月17日

8月17日(火)晴

今日は一日寝倒した。金曜夜から昨日までほとんど寝てなかった分を全部吐き出した形だ。

1997年4月14日

4月14日(月)晴

崎勤に今日、死刑判決が下された。あの事件ももう9年前のことだ。当時、日本中の宮崎さんが迷惑をかけられたことだろう。俺の中でも、「天空の城ラピュタ」などでおなじみの宮崎駿のイメージが急落した。名前が似てるから。ちなみに、我々真田もサナダムシには迷惑をかけられている。

1998年2月27日

2月27日(金)晴

今日は今までうんとこさ来た就職の資料の整理をしていた。それで、ハガキとか書いてたのだけど、会社が星の数ほどありすぎてきりがない。自分なりに絞っているつもりなんだけれど。

1999年7月28日

7月28日(水)晴

最近、面白くて結構見てるのが水曜10時からTBS系列で放送中の「ここがヘンだよ日本人」。日本人について毎週異なるテーマで各国の外国人達がディスカスする。国によって価値観、文化などが全然違うことに驚く。しかし、テリー伊藤は非常にうっとうしい。人の話を聞いちゃいねえし、論点もいつもズレてる。おまけに低俗だときてるからもう救いようがない。

1998年12月 6日

12月6日(日)晴

ロ野球はシーズンオフになり、契約更改の季節になっている。そんな折、昨日、中日の注目の2選手が交渉に臨んだ。野口と落合だ。昨年の年俸は野口2500万、落合2600万と大変、似通っていた。そしてその二人、野口は先発の核となり14勝を挙げ(27試合14勝9敗 防御率2.34)、落合は中継ぎのエースとして55試合に登板、最優秀中継ぎ投手に輝き(55試合4勝6敗5S 防御率2.82)、共に今年大躍進した。

注目の交渉の結果では、非常に興味深い結果が見られた。野口が6000万でサインしたのに対し、落合は5500万(+タイトル料500万)で保留した。星野監督も「MVPは落合」と落合を高く評価している。中継ぎ投手という過酷なポジションを1シーズンに渡り、こなしたのだ。野口の活躍も当然立派だが、それ以上の活躍だったといっても過言でないだろう。しかし、野口より査定ポイントとしては下だったことになる。中継ぎ投手への評価も上がってきたがまだ小さい。せめて、野口と同等くらいの評価を落合へはしてあげてほしい。