このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記,旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年11月 3日

11月3日(火)曇

風邪ひいてまった。喉が痛い。辛い。健康が一番や。

1997年11月 3日

11月3日(祝)晴

おととい、MYCOMから就職情報の案内のハガキが来たばかりなのに、今日もMYCOMからハガキが届いた。と良く見たらおととい来たのは理系3年対象。今日のは理系4年対象。留年しているとこういうことが少なくない。

2003年4月21日

偉大なる開拓者

野茂がアメリカに渡ったのは1995年。
しかし、イチローや松井のようにすっきりした形の渡米ではなかった。
94年オフ、契約交渉にて「複数年契約」「代理人制度」を要求した野茂と近鉄の交渉が決裂。
任意引退選手となりメジャーへ挑戦する運びとなった。
当時としては(今も?)、選手が球団に楯突くことなどご法度。マスコミなどの野茂へのバッシングはそれは壮絶なものだった。
野球解説者の評価も一様に良くなく「無謀」な挑戦という声がほとんどだった。
1年目から、オールスター出場、新人王などという輝かしい結果で払拭したのは周知の通りだろう。

現在、日本人選手がメジャーで活躍することはさして珍しいことではなくなった。
しかし、野茂の存在なくしてそれは実現したかどうか・・・

偉大なる開拓者は今日、メジャー100勝という「通過点」を越えた。

1997年6月 9日

6月9日(月)雨

朝7時半頃、ようやく実験レポートが終わる。レポートの枚数は合わせて50枚に及んだ。この1週間本当に苦しかった。寝るのも惜しんで作成した。これで、今夜はゆっくり眠れる。

1998年6月 1日

6月1日(月)曇

いよいよ、明日に差し迫ってきた個人面接のプレゼン。午後から研究室で練り上げて、OHPフィルムをうんとこさとして作り上げ、家に引き返す。そして、プレゼンの練習を一応した。

1997年5月11日

5月11日(日)晴

今日は、一日のんぶり過ごしてしまった。といっても、最近すっかり夜型な生活なので、一日のスタートは午後4時だったが・・・。夜はTVで中日戦を見ていたのだが、中日が1点差で負けているところで終わってしまった。気になるので、その後はラジオで聞いたのだが、なんと大豊が8回に逆転3ラン。おもわず、一人でガッツポーズしてしまった。間違ってもこの光景を誰かに見られたくないんだが・・・。しかもこれが、通算200号というからめでたい。詳しくはこちらで。

1998年12月 6日

12月6日(日)晴

プロ野球はシーズンオフになり、契約更改の季節になっている。そんな折、昨日、中日の注目の2選手が交渉に臨んだ。野口と落合だ。昨年の年俸は野口2500万、落合2600万と大変、似通っていた。そしてその二人、野口は先発の核となり14勝を挙げ(27試合14勝9敗 防御率2.34)、落合は中継ぎのエースとして55試合に登板、最優秀中継ぎ投手に輝き(55試合4勝6敗5S 防御率2.82)、共に今年大躍進した。

注目の交渉の結果では、非常に興味深い結果が見られた。野口が6000万でサインしたのに対し、落合は5500万(+タイトル料500万)で保留した。星野監督も「MVPは落合」と落合を高く評価している。中継ぎ投手という過酷なポジションを1シーズンに渡り、こなしたのだ。野口の活躍も当然立派だが、それ以上の活躍だったといっても過言でないだろう。しかし、野口より査定ポイントとしては下だったことになる。中継ぎ投手への評価も上がってきたがまだ小さい。せめて、野口と同等くらいの評価を落合へはしてあげてほしい。

1998年5月 1日

5月1日(金)曇

はやいもので、もう今年も5月だ。今日は大学も創立記念日でこれから5連休である。

1999年1月 4日

1月4日(月)晴

今回、実家の富士吉田へは大晦日に中央線で、しかも長野まで大回りしてのんびり帰ってきたわけだが、このルートが結構好きだ。中央線は大自然の中をぬって進み、日本の気候の豊かさを感じる。「トンネルを越えるとそこは雪国だった」とは川端康成の「雪国」だが、そんな場面をまま目にすることができる。暇な人にはおすすめだ。