このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年9月 1日

9月1日(水)

今日から川崎で研修だ。川崎での研修も最初のうちはウキウキだったけど最近じゃさみしくなってきた。ことに一人で昼飯食べてるときが・・・。

1998年9月 1日

9月1日(火)晴

日、北朝鮮から発射された弾道ミサイルは推進部は日本海、弾頭部は太平洋に落下していたらしい。すなわち、弾道部は東北地方の上空を通り抜けていたことになる。全く、北朝鮮は何を考えているんだろう。民衆は食い物もなく苦しんでいるというのに。

1997年9月 1日

9月1日(月)晴

今日は、松阪大学との試合があった。善戦したが終盤逆転され惜敗。そして、いよいよ秋季リーグ戦も残すところ1試合となった。

1999年7月23日

7月23日(金)晴

日本のハイジャック事件史上はじめて死者が出た。ハイジャック犯人が機長を刺したのだ。その上、この犯人は操縦桿を握り、一時、飛行機は東京上空300メートルの高度まで急降下。機体は墜落の危機にさらされた。500人強の乗客、いやその何十倍、もしくは何百倍もの一般市民をもの命が危険にさらされたのだ。犯人は「シミュレータゲームが好きで飛行機を操縦して見たかった」らしい。際限なき怒りを感じる。実際社員が殺害された全日空の会見が異様に淡々としていたのが、さらに怒りを助長した。

1998年10月 4日

10月4日(日)晴

歌山のヒ素カレー事件に関連する事件、保険金詐欺事件の容疑者夫妻が朝方逮捕された。ヒ素カレー事件も一気に解決なるか?そして、日本中でつづく毒物事件の連鎖を断ちきれるか?

ところで、明日、ついに内定式。今夜、入社に関する誓約書に判を押した。いよいよ、半年後には社会人か。ふ~

1997年11月19日

11月19日(水)晴

20日朝の「めざましてれび」の情報によると、中田が世界選抜に選ばれたらしい。まあ、これって本当の実力の選抜じゃなかったと思うけど。しかし、すごいことだ。日本サッカーもカズの時代(だったのかな?)から中田の時代に移行という感じだ。これを気に中田もどっか外国のクラブチームでやってほしいなぁ。

1998年6月26日

6月26日(金)曇

勝トーナメント進出の望みは消えていた日本ではあったが、最終戦ジャマイカ戦があった。楽観的な意見が多かったジャマイカ戦ではあったが結果は1対2の負けだった。結局、日本は予選リーグ3敗。得点こそ最終戦で呂比須-中山のベテランコンビでかろうじて得点は挙げたものの勝ち点は挙げられなかった。

今日は終幕したワールドカップフランス大会における日本を総括したいと思う。技術的な面、選手起用などは私が言えるような身分でもないのでとりあえず割愛。

よって精神的な面による総括となるが、はっきり言って日本はモチベーションが不足しすぎていた。明らかに、アルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカさえ終わってみると格上であった。しかし、目に入ってくる日本代表の姿はアジア予選、さらにはJリーグのおけるその姿とさして変わらなかった。負けているのに、城を中心に中田など笑顔を浮かべていた。そんなクールさはワールドカップでは通用する訳もなかった。

そして、岡田監督が当初言っていた「1勝1敗1分」。確かに妥当ではあるが、人間は楽な方向に進んでしまう生き物。目標は70~80%しか達成出来ないという説もある。そんなアホな~と言われながらも「3勝」と言っておくべきではなかっただろうか。

さらに、現在の日本代表のスタッフの問題。確かに有能な人材が集まっていたのかもしれないが、なにぶん、日本は初出場。ワールドカップに対する経験のあるスタッフが欲しかった。例えば、ジーコとか。アジア予選の危機を回避させワールドカップ進出へと導いた岡田監督ではあったが、所詮、まだ代行監督でしかなかったのかもしれない。

名良橋は大会前、「チーム(鹿島)のメンバーには悪いが、ワールドカップで全てを燃やしつくしたい」というようなコメントを残している。まさに、全員が最初から、この意気で臨むべきだっただろう。

ジャマイカ戦、0対2となってから得点を取ろうと選手が全員いきいきと動き出した。そして、次々と決定的なチャンスを奪った。アルゼンチン戦から通じてずっと椅子に座ってどっかり観戦していた私だったが、テレビの前まで乗り出して熱狂した。ついに、中山がワールドカップ日本初得点!。「鮮やか!」ではなかったが気持ちが入った実に素晴らしいシュートだった。

終盤、ワールドカップ初出場した期待の若手・小野も実にいい働きをした。平野も結構良かった。

2002年に楽しみな人材も出てきた。精神的な面、決定力不足(シュートはワクにおさめましょう!)など課題もしっかり露呈された。

最後。中継で「岡田、腹切って詫びろ」とヤジっていた福岡のたわけボケ! じゃあ、お前だったら何が出来るんだ? 勘違い野郎な福岡の君には、雑魚(ザコと読むんだよ)認定書とカス認定書をダブルで送ろう。

1999年2月 2日

2月2日(火)曇

卒論に関し、昨日から考えに考え抜いてやっとわかったことが結局、使えないという結論に陥った。まあ、そんなに物事うまくいかないか・・・。しかし、2進数の世界はもう嫌じゃ。考えれば考えるほど人格が破壊されていく気がする・・・。

ところで、次の日曜日(7日)に愛知県は県知事選挙をひかえている。どうやら、新聞などを見る限り、【本命】神田氏(=自民、民主、公明、自由推薦、社民支持)【対抗】影山氏【注意】柴田氏といった感じのようだ。県民レベルではあまり注目視されていないようだが、焦点となるのは「2005年愛知万博」である。この万博、「万博」という言葉だけが一人歩きして県民にはその内容が全く浸透していない。なんの万博?といった感じなのである。それに、博覧会なんていうのはもう時代遅れなのではないだろうか。そんな万博のために、森を荒らし巨額な投資をしようとしているのだ。やめとくなら今のうちでしょう。ちなみに、万博賛成は本命神田氏、万博反対が影山氏、柴田氏である。

1998年1月 4日

1月4日(日)雨

実家で壁紙を貼らされた。壁紙を貼るという作業はなんとも面倒くさい。俺のようにマクロな人間には向かない作業だ。

夜は、☆科、F久保、S井、A宮らとカラオケに行った。明日には名古屋へ帰る。

1999年4月15日

4月15日(木)晴

テレビで巨人広島戦を見た。3対4の広島リードで迎えた9回裏、石井がサヨナラ2ランを放ち巨人が勝った。

しかし、巨人の継投策は明らかに失敗だった。場面は9回表3対1の巨人リードまで戻る。巨人先発・斎藤雅は8回まで好投を続けていた。9回ももちろん続投。普通ならこれで良かっただろう。だが、前日リリーフを失敗している槙原を今後もストッパーとして起用していくのであれば、回の頭から投げさせ、イージーに失敗を返上させてやるべきだった。最低でも二死一、三塁となった場面で投入すべきだっただろう。ところが、槙原は1点差、二死二、三塁というリリーフとしては最も過酷な場面で投入された。そして、安打を許し逆転を許した。動揺した槙原はつづく西山に死球を与え降板した。

ストッパー槙原は連夜のリリーフ失敗で自信を大きく失った。試合には勝ったが、巨人の大きなものを失った。

くしくも、我がドラゴンズは開幕10連勝。未だ135勝ペース。