このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年6月20日

6月20日(土)晴

、対クロアチア戦。0対1で敗れた。善戦はしたが・・・。所詮善戦である。これで、予選通過の可能性は限りなく0に。わかっていたことではあるが、わかってみるとさびしいねぇ。

ところで、なんか今日はあっさり負けたという印象だ。気付いてみると今、代表の中でファイタータイプの人間は中山だけである。こんな時こそ、闘志を全面に出して戦える選手、そう北沢やカズが必要だったかも・・・。アジア予選最終戦で途中交代させられた時のあの醜いほどのカズのアピール、今はそんな執着心が懐かしい。まあ結果論ではある。

昨年のアジア予選後、もてはやされた岡田監督も単なるオヤジに見えてきた。言い過ぎかな?

1997年6月20日

6月20日(金)暴風雨のち晴

名古屋地方を台風7号が直撃した。台風が6月に上陸するのはかなり珍しいらしい。2,3限は大雨洪水警報が出ていたので、自主休講とさせていただいた。しかし、この台風はあまり大きな台風でなかったのかたいしたことがなくて良かった。それにしても、台風っていうのは近付いてくると妙にわくわくするものがある。

夜には、S木、H房、H川との4人でボウリングに行ってきた。10ゲーム投げたのが、5ゲーム150を超したのでなかなかの好調であった。

1999年7月 8日

7月8日(木)晴

これだから野球は面白い。会社から家に戻ること9時過ぎ。BSで阪神対ヤクルト戦を観た。イニングはすでに9回裏で6対2、ヤクルトの4点リード。ゲームの焦点は専ら、ここまで14奪三振を奪っている石井一久の奪三振だった。

しかし、矢野四球、ブロワーズヒットで無死一、三塁となって、さらにつづく八木の平凡なファウルフライを古田とペタジーニが交錯する形で落球。

経験上、ファーストがファウルフライを落としたとき、その後、丸く収まることはない。今日も例外ではなかった。結局、八木は四球で無死満塁。新庄が2点タイムリーで2点差になると、一死ニ、三塁から代打ジョンソンがサヨナラホームランだ。一挙に5点を挙げてのサヨナラ劇。野球の醍醐味を味わえる試合だった。という訳で猛者日記も1ヶ月半の沈黙を破って復活。

1999年5月20日

5月20日(木)晴

今日の製造実習、いまいちやることなし。でも夕方ちょっとやることできた。助かった。

1998年6月28日

6月28日(日)曇

前中、祖父と親父の7回忌があった。まあ、これ自体は30分も立たず終わった。

そして、昼は河口湖畔のホテルで会食。いとことかに会うのも久しぶり。皆ほとんど、酒を飲める年になった。俺も23になるわけだ。

1999年4月19日

4月19日(月)雨

今日からまた会社かぁ。今朝もまた雨模様。雨の日は起きるのもつらい。今日から研修はワークショップが始まった。8時まで居残りで話し合い。疲れました。

1997年2月 4日

2月4日(火)晴

 2時ころから、友達と2時間ばかり電話で話した。何か、自分もがんばらなければというような気になった。

1997年11月21日

11月21日(金)曇

ドラフト会議、注目の平安・川口は4球団に指名されつつも、見事、意中のオリックス・仰木監督に交渉権を引き当ててもらった。すごい運だ。

その影でしょうこりもなく意中外の烙印を押されながら1位指名を強行していたチームがあった。その名も「近鉄バッファローズ」。思えば、2年前、巨人、中日を逆指名していた上宮・福留の指名を強行。誰かさんが「ヨッシャー」と言って交渉権を引き当てたが、結局、口説き落とすことが出来ず。その後、日本生命に入った福留に、大阪ドーム落成記念かなんかの試合で近鉄は本塁打を浴びている。コケにされまくり状態である。

小池(現・近鉄)にフラれたロッテ、元木(現・巨人)にフラれたダイエー。みんな反省して、その後は無謀な指名は避けているのに。天晴れ!近鉄バッファローズ!僕は、そんな近鉄に交渉権をあげたかった。

1999年8月 8日

8月8日(日)晴

会社の同期数人で横浜スタジアムへ横浜対中日戦を観に行った。やはりビールを飲みつつ夏のナイター観戦は最高である。試合開始前からすっかり出来あがった。しかし、試合が始まると一気にダークな気分に。我がドラゴンズは初回にいきなり6点を取られるなど高校野球なら5回コールドになるスコアにまで突き放された。結局4対16で大敗。トホホなナイター観戦だった。