このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年3月21日

3月21日(日)雨

夜から、S木、H野とスキーのツアーに出かけた。気付いてみれば3年ぶりのスキー。まともに滑れるやろか。

1998年3月21日

3月21日(土)晴

、軟式野球部の追いコンがあった。同期の連中は25日で大学卒業である。大学院に進学の奴もいるけれど、基本的に皆、4月から社会人となる。このように集まることもこれからはなかなか出来ないだろう。

1997年3月21日

3月21日(金)曇

今日も軟式野球部の試合に出た。今日の目標はとりあえずノーエラーだった。さすがに、昨日の試合にも出たので、守備の感覚が昨年までと同じ感じに戻ってきた。

しかし、練習をやってないということは、ピンチなどのプレッシャーのかかった場面に出てくるものである。練習をしていない分、余裕がなくなるからだ。逆転のピンチでそれがエラーという形で出てしまった。やはり、練習は大事なものである。結局、負ける相手ではないし、負ける試合ではなかったのだが、逆転負け。

1998年7月10日

7月10日(金)曇のち雨

日は夜、久しぶりに雨が降った。バイトの帰りに雨に襲撃された。ど~も、梅雨はまだ明けていなかったらしい。

今日、ニュースステーションでは明後日に参院選投票日をひかえ8党党首の公開討論をやっていた。今回は、投票に行こうかな。

1999年7月24日

7月24日(土)晴

会社の同期の連中と宇佐美へ海水浴へ行った。宇佐美自体は大した海ではなかったが、晴れ渡っていたこともありドライブなど爽快だった。海ではフリスビーにはまる。海に入っていたのは3,4時間だったが、体力を燃やし尽くした。やっぱり海はいいね。

1999年10月17日

10月17日(日)曇

草野球に誘われて行ってきた。久々に実践形式だ。なにげにエラーもしてしまったが、クリーンヒットも打てたしまあ充実した。

1997年11月21日

11月21日(金)曇

ドラフト会議、注目の平安・川口は4球団に指名されつつも、見事、意中のオリックス・仰木監督に交渉権を引き当ててもらった。すごい運だ。

その影でしょうこりもなく意中外の烙印を押されながら1位指名を強行していたチームがあった。その名も「近鉄バッファローズ」。思えば、2年前、巨人、中日を逆指名していた上宮・福留の指名を強行。誰かさんが「ヨッシャー」と言って交渉権を引き当てたが、結局、口説き落とすことが出来ず。その後、日本生命に入った福留に、大阪ドーム落成記念かなんかの試合で近鉄は本塁打を浴びている。コケにされまくり状態である。

小池(現・近鉄)にフラれたロッテ、元木(現・巨人)にフラれたダイエー。みんな反省して、その後は無謀な指名は避けているのに。天晴れ!近鉄バッファローズ!僕は、そんな近鉄に交渉権をあげたかった。

1999年5月 3日

5月3日(月)曇

なぜか男4人でガリバー王国に行った。わかっていたことではあったが、面白くもなんともなかった。まあ、雨などの悪条件も重なり遊べるものが限られていたこともあるだろうけど。

夜はまた高校の時のクラスの連中と村さ来で飲んだ。酒浸りなGWや。

1999年7月 8日

7月8日(木)晴

これだから野球は面白い。会社から家に戻ること9時過ぎ。BSで阪神対ヤクルト戦を観た。イニングはすでに9回裏で6対2、ヤクルトの4点リード。ゲームの焦点は専ら、ここまで14奪三振を奪っている石井一久の奪三振だった。

しかし、矢野四球、ブロワーズヒットで無死一、三塁となって、さらにつづく八木の平凡なファウルフライを古田とペタジーニが交錯する形で落球。

経験上、ファーストがファウルフライを落としたとき、その後、丸く収まることはない。今日も例外ではなかった。結局、八木は四球で無死満塁。新庄が2点タイムリーで2点差になると、一死ニ、三塁から代打ジョンソンがサヨナラホームランだ。一挙に5点を挙げてのサヨナラ劇。野球の醍醐味を味わえる試合だった。という訳で猛者日記も1ヶ月半の沈黙を破って復活。

1999年8月 2日

8月2日(月)晴

婦女暴行の疑いで逮捕されていた慶応の医学部生5人が今日、全員退学処分されたそうな。この5人も調子に乗りすぎたね。似たような事は結構そこらへんに転がってるような気はするが・・・。失ったものはデカ過ぎだね。南無。