このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年2月22日

2月22日(月)晴

卒論発表に向けパワーポイントのドキュメント作りな1日。

1998年2月22日

2月22日(日)晴

長野オリンピックもとうとう閉会した。前評判としては良くないことばかりを聞いていたけれど、終わってみるとなかなか良いオリンピックだったのではと思う。感動も数々あった。まだまだ世の中も捨てたもんではないといった感じがある。

逆を言えば、暗いニュースばかりが目立っているだけで、明るいニュースも探せばちゃんとあるんだろうと思う。ただ、皆が興味を持って見るのは暗いニュース。よっぽど明るいニュースでない限り、人は興味を示さない。だから、必然的に暗いニュースばかりが台頭してくる。

そういったネガティブなところが、新井元議員の自殺の事件にも関係があるように思う。日本は法治国家であり、まだ、あの時点では犯罪者ではなかった。しかし、マスコミなどは完全に犯罪者扱いだった(この件に限ったことではないが)。そういった扱いに耐えられなかったのかもしれない。

だからといって決して擁護する訳ではなく、反論するのを拒み自殺してしまったからにはそれは犯罪を認めたものとして俺はとらえている。

1997年2月22日

2月22日(土)晴

 夜からの麻雀は朝まで続いた。最初の頃の勝ちはもうこの頃には跡形もなく消えていた。最近、麻雀で勝った記憶がない。

 その帰りに閉店セールをしているミニストップに行った。もうほとんど何も商品がなかったのだが、シャンプーと石鹸を買った。しかし、半額というのはすごく劇的だ。

 昼頃、家に帰ると速攻で眠りに就いた。

1997年1月15日

1月15日(水)晴

 夜から、学科の仲間との新年会(?)だった。常日頃から、H川はキテレツに出てくる「べんぞうさん」に似ていると思っていたのだが、今日、やっとそれを言う機会に恵まれた。

 夜中から麻雀をすることになったが、跳満を3回もフリこむという失態を演じてしまった。

1998年9月25日

9月25日(金)曇

日のA原の結婚式二次会出席のため午後からS須とともに実家に帰省した。三島駅では♪あ~我が母校 のY田高校の修学旅行に偶然遭遇した。どうも、おなじ新幹線だったらしい。知っている先生もいたが、向こうがこっちを知らない恐れが非常に大きかったので声をかけるのはやめた。三島からはお迎えのDマン号で富士吉田へと向かった。

1997年8月 1日

8月1日(金)曇

昨夜8時から今朝8時までのS川急便のバイト、自己最大に大変なバイトだった。まさに、肉体労働。忙しいわ重いわでもう大変だった。最初の10分位で逃げ出したくなった。けれど、マイクロにのせられて遠くに来ているので逃げるわけにもいかない。中学の野球部時代のシゴキのことを思い出した。

暑さも大変だった。汗ダラダラだ。いったい、この12時間でどれだけの汗をかいたのだろう。なにせジュース7本を飲みながら、この12時間のうち1回もトイレに行かずにすんだのだから、2リットルは汗をかいただろう。大変だと噂には聞いていたが、想像以上に大変なバイトだった。もう2度とこのバイトはやらないだろう。

朝、家に帰りすぐ寝て、夕方家庭教師があったので起きたのだが、体はバリバリだった。この12時間はまるで、大変な別世界に来てしまったかのような苦しい12時間だった。この苦しみを経て13,000円入手。まあ、いい経験をした。

1997年8月 2日

8月2日(土)晴

朝から今日は野球漬けの日だった。早朝6時から早朝野球の試合。今日の相手はリーグ戦の優勝候補の一角をになう相手なだけに苦しい試合だった。やっとの思いでサヨナラ勝ち。幸運にもサヨナラのホームを自分で踏むことができた。サヨナラ勝ちっていうのは実に気持ちがいい。

試合が終わると、次は軟式野球部の練習へ。朝も十分に暑かったが、日が昇ってからの暑さは並じゃない。もうフラフラだ。昼飯食って家に帰ると、夕飯も食わずに翌朝5時まで爆睡した。

1998年5月27日

5月27日(水)晴

日はいろいろなことがあった。まず、若乃花が正式に横綱昇進。注目の4文字熟語は「堅忍不抜」であった。確か大関昇進の時は「一意専心」であった。ちょうど、大学受験の時だったのでその熟語を家の机に貼り付けて頑張ったことでよく覚えている。

また、先週受けた就職の筆記試験の結果が返ってきて、通過したとのこと。次は6月2日で今度はちょっとした発表をしなければならないので大変だ。

それから、H房から譲り受けた原付の距離カウントが7000キロを突破。

そして、この忙しい時にFreeBSDの入門本を買ってきて、インストールを試みた。けど、やっぱり大変である。

1998年12月18日

12月18日(金)晴

在、タイ・バンコクでは盛大にアジア大会が開かれている。このなかで、16日の新聞に奇妙なルールの記事を見つけた。3位なのに銅メダルをもらえなかったという記事だ。この理由は、アジア・オリンピック評議会(OCA)に1カ国でメダルを独占しないという憲章があるためである。そのため、1-3位を同じ国で独占すると、3位の選手は銅メダルをもらえないらしい。

なんとなく、この憲章のいわんとするところはわからないでもない。ただ、そんな形で3位なのに銅メダルをもらえない選手、4位なのに銅メダルをもらう選手はどんな気持ちなのだろうか。3位の選手にしてみればなぜもらえないんだという気持ちであろうし、4位の選手にしてみてもその銅メダルに何の意味があるのだろうか。この憲章は国単位のことしか考えておらず、まるで選手単位のことは無視されてる悪法と言っていいだろう。

さらに問題なのは、このアジア大会におきこの規定が不統一であるということ。ボウリング女子、アーチェリー女子個人では「1カ国でメダルを独占しない」というOCAの規定が適用されたのに対し、馬術の馬場馬術個人では韓国選手が1-3位を占めたが、独占を認めている国際競技連盟(IF)の規定によりそのままメダリストとして表彰された。

1997年6月29日

6月29日(日)快晴

今日は朝から交通量調査のバイトだった。朝7時から夜10時まで。休憩が2時間おきに1時間あるとはいえ疲れた。栄のナディアパーク付近で歩行者のカウントを僕はしたのだが、ほとんど人の通らない朝からうじゃうじゃと人の通る昼過ぎを経て夜まで、いろいろな顔が見られた気がする。12000円の給料を得たが、休憩の時間が暇だったのでかなり、無駄遣いをしてしまった。

それにしても、今日は日差しが強かった。ひなたにいたのは昼前のほんの1~2時間程度だったのだが、日焼けで腕が真っ赤になってしまった。おまけに、腕に腕時計の跡を焼き付るという失態。しばらく、人前で腕時計がはずせなくなってしまった。