このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年12月 9日

12月9日(水)晴

渕首相が現在のプロ野球ドラフト制度に対する見解を述べるという場面が昨日、国会で実現した。元中日投手・三沢淳氏の質問によるものだ。「現状やむを得ず」というのが首相の見解のようだ。

そこで、私の見解をここで書くことにした。私は、その年の最下位チームから順に指名権を持つ完全ウェーバー制がいいと思う。そもそも、金のある球団にいい選手が集中し、チーム力が不均衡になることを防ぐべく作られたのがドラフト制度である。その経緯に則って考えるのならば、完全ウェーバー制がベストではないだろうか。くじ引きにより指名権を取り合う現行の方式は確かにショーアップ効果としては絶大なものだ。過去にいろいろなドラマも生んだ。しかし、そのドラマの多くは選手の悲劇であったのだ。

選手にチームを選ぶ権利を・・・ということで、導入された逆指名制度は廃止し、代わりにFA権取得の条件を軽くするといい。

1997年12月 9日

12月9日(火)曇

来年からプロ野球を退団した選手がその後、社会人野球でプレーできることになった。その昔、社会人の有力選手をシーズン途中で引き抜いたという「柳川事件」以来、あった壁が一部取り払われたのである。これまで、日本の野球界はプロとアマチュアで非常に厚い壁があった。その壁がすこしずつ取り払われていくことは、良い傾向であると思う。

プロとアマチュアの交流という点では、サッカーは面白い。その象徴的なものが今、開催されている「天皇杯」だ。Jリーグのチームはもちろん、JFL、大学、そして高校生のチームまでもが同じ土俵で戦う。なかなか下剋上は難しいようだが、高校生のチームがもしかしたらJリーグのチームに挑戦しうることに十分な価値がある。

野球でこの「天皇杯」のような大会が実現できたら、どんなに面白いことだろう。桑田、清原のいたPL学園と当時最弱だったヤクルトの対決など見てみたかった。ただ、野球の場合は使用バットの違いなどもあり、まだまだ実現は苦しいかなと思う。

1996年12月 9日

12月9日(月)曇

 昼過ぎから、中学生の期末試験のための授業であった。しっかり、教えきれなかったような気がして、終わった後、妙に残念な気分になった。生徒思いのいい先生だ。

 深夜のバイトでは、いつもやっている普通の郵便物の仕分けでなく、今日は、小包の方にまわされた。歩き回らなければならないので、足がメチャメチャ疲れた。しかも、2時間延長して朝8時まで働いた。明るくなって分かったのだが、ここは名古屋駅が一望出来てなかなかの景色だ。

1999年7月26日

7月26日(月)晴

夕方から目が痛い。なぜかはわからないが・・・。

1997年10月 8日

10月8日(水)晴

今日から後期の授業が始まった。と同時に前期の成績も返ってきた。かなりの数の授業で単位を落とすことを予想していたが、2つに収まった。もっと、落してしまうことさえ予想していたので多少安心した。後期はしっかりやろう(といつも最初は思う)。

1997年6月19日

6月19日(木)曇のち雨

今月になって、すでに内外学生センターの斡旋で4日日雇いのバイトをしている。そして、今日、もう2つバイトの紹介をもらってきた。確かに、金欠による必然性なのだが、仕事をして即給料をもらえるというのはわかりやすいので働き甲斐がある。

1997年2月 9日

2月9日(日)晴

 型の生活がどうしても直らない。午前12時を過ぎると体のキレが良くなるのだ。そして、日が昇る頃に眠くなり、床に就く。そして、日の落ちる頃に起き上がる。そんな生活だ。

 今日もしかり。現在2時だが目はギンギンなので、このまま朝までテスト勉強にいそしもうと思う。2つのテストが終われば、晴れて春休み。はやく心身ともに春を迎えたいものだ。

1997年4月20日

4月20日(日)晴

日は、朝からN島と日払いのバイトだった。職種は電気器具の清掃。要するに工場などへ行って配線とかのほこり取りなどをするバイトだった。たいした仕事ではなかったのだが、とにかくほこりがすごかった。家に帰った後、鼻をかんだらまさしく真っ黒なものがでてきた。それを見て改めてもう一度、念入りにうがいをし直した。とにもかくにも、金欠状態がつづくなか、7200円をゲット。

1999年1月26日

1月26日(火)晴

先日、週刊誌で喫煙、および飲酒しているところの写真が載ってしまったジャニーズJrのメンバー4人がジャニーズ事務所から解雇通告を受けたとのことだ。誰もがたいがいしていることとの同情も感じなくもないが、彼らの身分、立場を考えればいたしかたのないことだろう。しかし、中途半端に甘い汁を吸ってしまった身である。これからの彼らの人生、転落は必至だろう。南無。

1996年11月22日

11月22日(金)晴

 今日は、Y見君来訪で目覚めることになった。今日夜の東海学生軟式野球連盟の納会に出席するのに、彼にスーツを貸すためだ。この起きた時間が昼2時なのだけれど。

 夕方から、この納会に出席。僕は、連盟の総務という立場にいるので、表彰式など終えた後に急遽、乾杯の音頭を取るハメになった。前に出ていろいろやるのは苦手である。勘弁してくれという感じであった(でも、クセになりそう)。

 納会が終わると、そのまま解散となり家に帰った。しかし、自分はかなりいい気分で、しかも暇であったので、電話魔と化した。タチが悪い男だ。まあ、そんなことは俺の知ったこっちゃない。高校の同級生のO山田、S須、★科、F久保あたりと本当に久しぶりに連絡を取った。どいつも、それなりに大学生をしているらしい。それにしても、のどが乾くほど電話をしたのは、初めてだ。