このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年12月28日

12月28日(月)晴

テレ系で9時から「俺にも言わせろ!!」というスペシャル番組をやっていた。ワイドショーなどで話題になった当事者がゲストとして呼ばれ、10人くらいの芸能人が猛烈に言葉を浴びせるといった感じの番組だった。

そのなかで、カバキというイタリア人が登場した。数年前、女子大生集団レイプ事件の容疑者として逮捕されたが保釈された男だ。しかし、このカバキは単なる容疑者だっただけであるのに、出演者たちは完全に犯人として決め付け、ほぼ一方的に罵倒しまくっていた。疑わしいのは確かであるのかもしれないが、おまえらにそんなことを言う権利はない。日本は法治国家であり、おまえらが治める国家じゃねえんだよ(イタリアで起きた事件だけどね・・・)。

さらに、問題なのはこの議論の状況(まあ、「議論」などとは到底言えないのだが)。カバキ側は慣れない日本語で話す上に一人だけ。そして、相手側は得意の日本語で十数人が総攻撃。「いじめ」が問題となる日本の番組らしいね。

日本の問題を数々含んだ非常に低俗な番組だった。さすが!日テレちゃん!

1997年12月28日

12月28日(日)晴

悪友N島、F津、E島らと忘年会テツマンに興じた。今回は実に久しぶりに勝った(涙)。いい年末を迎えられそうだ。29日は午前中、塾講を2時間やった後、実家に帰省する予定。ということで、年内の日記の更新はこれが最後となる。というわけで、良いお年を。

1996年12月28日

12月28日(土)曇

 深夜はバイトの予定であったが、休んでN島、F津、E原らとの4人で忘年会となった。郵便局はかなり、こういうことで融通がきく。

 序盤戦は、外で飲んでいたのだが、その後、麻雀をすることとなった。このメンツで卓を囲むのは初めてだ。負けた。どうも、俺は夜が更けてくると勝負に執着がなくなり、弱くなる。今日も4時頃までは勝っていたのだが・・・。

 明日はちゃんとバイトへ行こう。

1997年3月 2日

3月2日(日)晴

桃鉄で負けた・・・。15年やって-10億円、トップまで約110億円差。今まで、常勝を誇っていた桃鉄であったのに・・・。負けてわかったが、このゲーム、めちゃくちゃ腹の立つゲームだ。弱者にひたすら厳しいゲームなのだ。そして、金は金を産みトップはひたすら独走する。あああああああああ、ムカつく。別に金とか賭けてたわけではないが、麻雀で負けるよりムカつく。たかがゲーム、されどゲームである。

1997年8月15日

8月15日(金)曇

今日からおじのいる千葉へ姉貴夫婦、母親と出かけた。朝8時半頃に富士吉田から出かけたが、幸運にも渋滞にもほとんど巻き込まれず市原のおじの家には昼前にはついてしまった。

午後からは、おじと義兄らと海釣りにでかけたが、台風の影響でか波が荒くなにもかからなかった。

1999年4月23日

4月23日(金)雨

クラス代表の6つの班による発表会が行われた。クラス代表である我々の班はなんと見事優勝に輝いた。予想もしなかった結果に大変喜んだ。いまいち役には立っていなかったけれど・・・。

そして、今日で開発製造部門全体による研修は修了。夜は3週間をともにしたクラスの人間と飲み会。少し名残惜しい気もした。

1998年4月23日

4月23日(木)雨

めじめと蒸す1日だった。昼、某N社の方にあった。飯は食ったがたいした話は聞けなかった。以上。

1999年1月20日

1月20日(水)晴

今朝の新聞にあの吉村作治が成人式で激怒したという記事がのっていた。同氏は仙台市の成人式で講演をしたのだが、講演中、携帯電話で話をするなどあまりにもマナーの悪い新成人に激怒。予定より10分もはやく講演を切り上げた上、「もう成人式での講演はしない」ともらしたという。

近年、携帯電話の普及により、マナーの悪い利用が目立つ。特に、授業中に携帯電話を話すヤツを見かけた時は衝撃的だった。よくあそこまで無神経になれるものだと不思議に思う。

1997年4月 7日

4月7日(月)雨

ガスレンジを磨いた。多分、一人暮らしを始めて以来、はじめてだったと思う。つまり、3年分の汚れを磨いたわけだ。いくら、ほとんど自炊していないといっても汚れは確実に増していっていたのだった。

磨いてみてわかったことは、うちのガスレンジももとは、ステンレスの輝かしい色をしていたということだ。最近は、油汚れで完全にくすんでいたので、そのことを気づいたことに感動すら覚えた。明日は、部屋の方を大掃除しようかな。(これ読んだ人はものすごい部屋想像しちゃうだろうな(^_^;))

1997年6月10日

6月10日(火)晴

昼過ぎ、内外学生センターへ行き、明日の「イベントのチラシを家庭ポストへ投函」するバイトと日曜日の「模擬店手伝い」のそれぞれ日払いのバイトを紹介してもらってきた。それぞれ、6000円のバイト。これで、金欠状態からしばらく脱出だと思い、満足げに家に帰る。そして、なにげに交差点を曲がる。そこには、パトカーが止まっていた。
 「おっ、なんか事故でもあったのかな。」
 「あれ、だれか止められてるよ、かわいそうに。」
そして、警察官は俺の前に立ちふさがる。おい、ちょっと邪魔だよ。止めるのは俺じゃねえだろ。ん、もしや止められてるのは俺?でも、今日はヘルメットかぶってるし。もしや原付のライトがつかないから?いや、けど真っ昼間だしなあ。あっ、なんかの検問か?

絶対、止められているのは俺じゃないと思ったから止めてる警察官をあやうく轢きかけた。違反内容はあの「二段階右折」。二段階右折?あんな小さな交差点なのに。たしかに四谷通3丁目の交差点は交差点のところだけ半ば強引に3車線になっている。けど、どこのどいつがあんな交差点で二段階右折するんじゃ。そこで、二段階右折している原付など過去1度しか見た事がない。というか、かえってそんなことしてたら危ない。罰金6000円

6000円?明日のバイトの給料やんか!俺はなにしに行ってきたんだあ!明日、警察のためにボランティアでチラシくばりのバイトをするハメになった。トホホ・・・・。

二段階右折など鈍臭いオバチャンだけにさせときゃいい。