このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記,旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年11月 8日

11月8日(日)晴

今日は草野球の試合があった。昨日まで2日間ほど、寝込んでいたせいで体がフラフラ。ろくすっぽ、十分なプレーが出来なかったが、幸運にもサードにはボールが飛んでこなかった。しかし、最後の最後でゴロが来た。ふだんならイージーなゴロなんだが・・・。タイムリーエラー。4-1のスコアが4-3に・・・。まあ、しかし、なんとか逃げ切った。次回までには風邪を治さねば。

1997年11月 8日

11月8日(土)晴

Wカップ最終予選。日本はカザフスタンに勝ちB組2位が決定した。用事があって観ることは出来なかったが、とりあえず、良かった。次は、16日の第3代表決定戦だ。相手はサウジかイラン。今の流れで行けば勝てるだろう。

1996年12月31日

12月31日(火)晴

 今夜はやっと郵便局のバイト、ラストだ。途中、12時になり1997年を迎えた。1996年は、はっきりいって良くないことばかりが起きた。良かったことがほとんど思い浮かばない。1997年は、ぜひとも良い年であって欲しい。

 日に日に長くなっていた8時間のバイトがやっと終わった。苦しい1ケ月だった。自分で自分をほめてやりたい気分だ。あとは給料日を待つばかりだ。

 バイトが終わると、その足でそのまま我が故郷・富士吉田へ向かった。

1997年11月28日

11月28日(金)曇

夕方、家庭教師があったけど、その他は何もない一日であった。おわり。

1998年3月 7日

3月7日(土)晴

午前中、軟式野球部に顔を出し、春季リーグ戦の壮行試合(?)として現役チームと試合をした。約5ヶ月ぶりの野球だったのでハッスルしてきたんだが、体力がそれにともなわなかった。疲れた。

その後、今日は家庭教師2本だて。大変な1日だった。

1999年10月19日

10月19日(火)

なんもなし。

1997年6月10日

6月10日(火)晴

昼過ぎ、内外学生センターへ行き、明日の「イベントのチラシを家庭ポストへ投函」するバイトと日曜日の「模擬店手伝い」のそれぞれ日払いのバイトを紹介してもらってきた。それぞれ、6000円のバイト。これで、金欠状態からしばらく脱出だと思い、満足げに家に帰る。そして、なにげに交差点を曲がる。そこには、パトカーが止まっていた。
 「おっ、なんか事故でもあったのかな。」
 「あれ、だれか止められてるよ、かわいそうに。」
そして、警察官は俺の前に立ちふさがる。おい、ちょっと邪魔だよ。止めるのは俺じゃねえだろ。ん、もしや止められてるのは俺?でも、今日はヘルメットかぶってるし。もしや原付のライトがつかないから?いや、けど真っ昼間だしなあ。あっ、なんかの検問か?

絶対、止められているのは俺じゃないと思ったから止めてる警察官をあやうく轢きかけた。違反内容はあの「二段階右折」。二段階右折?あんな小さな交差点なのに。たしかに四谷通3丁目の交差点は交差点のところだけ半ば強引に3車線になっている。けど、どこのどいつがあんな交差点で二段階右折するんじゃ。そこで、二段階右折している原付など過去1度しか見た事がない。というか、かえってそんなことしてたら危ない。罰金6000円。

6000円?明日のバイトの給料やんか!俺はなにしに行ってきたんだあ!明日、警察のためにボランティアでチラシくばりのバイトをするハメになった。トホホ・・・・。

二段階右折など鈍臭いオバチャンだけにさせときゃいい。

1999年8月 6日

8月6日(金)晴

昨日と同じく川崎で研修。暑い。

1998年6月26日

6月26日(金)曇

決勝トーナメント進出の望みは消えていた日本ではあったが、最終戦ジャマイカ戦があった。楽観的な意見が多かったジャマイカ戦ではあったが結果は1対2の負けだった。結局、日本は予選リーグ3敗。得点こそ最終戦で呂比須-中山のベテランコンビでかろうじて得点は挙げたものの勝ち点は挙げられなかった。

今日は終幕したワールドカップフランス大会における日本を総括したいと思う。技術的な面、選手起用などは私が言えるような身分でもないのでとりあえず割愛。

よって精神的な面による総括となるが、はっきり言って日本はモチベーションが不足しすぎていた。明らかに、アルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカさえ終わってみると格上であった。しかし、目に入ってくる日本代表の姿はアジア予選、さらにはJリーグのおけるその姿とさして変わらなかった。負けているのに、城を中心に中田など笑顔を浮かべていた。そんなクールさはワールドカップでは通用する訳もなかった。

そして、岡田監督が当初言っていた「1勝1敗1分」。確かに妥当ではあるが、人間は楽な方向に進んでしまう生き物。目標は70~80%しか達成出来ないという説もある。そんなアホな~と言われながらも「3勝」と言っておくべきではなかっただろうか。

さらに、現在の日本代表のスタッフの問題。確かに有能な人材が集まっていたのかもしれないが、なにぶん、日本は初出場。ワールドカップに対する経験のあるスタッフが欲しかった。例えば、ジーコとか。アジア予選の危機を回避させワールドカップ進出へと導いた岡田監督ではあったが、所詮、まだ代行監督でしかなかったのかもしれない。

名良橋は大会前、「チーム(鹿島)のメンバーには悪いが、ワールドカップで全てを燃やしつくしたい」というようなコメントを残している。まさに、全員が、最初から、この意気で臨むべきだっただろう。

ジャマイカ戦、0対2となってから得点を取ろうと選手が全員いきいきと動き出した。そして、次々と決定的なチャンスを奪った。アルゼンチン戦から通じてずっと椅子に座ってどっかり観戦していた私だったが、テレビの前まで乗り出して熱狂した。ついに、中山がワールドカップ日本初得点!。「鮮やか!」ではなかったが気持ちが入った実に素晴らしいシュートだった。

終盤、ワールドカップ初出場した期待の若手・小野も実にいい働きをした。平野も結構良かった。

2002年に楽しみな人材も出てきた。精神的な面、決定力不足(シュートはワクにおさめましょう!)など課題もしっかり露呈された。

最後。中継で「岡田、腹切って詫びろ」とヤジっていた福岡のたわけなボケ! じゃあ、お前だったら何が出来るんだ? 勘違い野郎な福岡の君には、雑魚(ザコと読むんだよ)認定書とカス認定書をダブルで送ろう。