このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記,旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.
記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.
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大学の同期のS木が4月に結婚する。おめでとう。
「米国で野球をする楽しみ?それは僕にとってファンの声援でもあるんです。こっちのファンは厳しくもあり、野球をよく知っていますから。目が肥えているというか・・・。こんな経験は今までした事がないし、新鮮な喜びを感じています。」「こっちのファンは厳しくもあり、野球をよく知っていますから。」というくだりがまさにイチローの気持ちを表している。ただ騒がしい日本の球場に比べ、メジャーの球場は一投一打に生き生きとした反応がある。またそんな活きた観客の目がまた選手を育てるのではなかろうか。
しかし、巨人の継投策は明らかに失敗だった。場面は9回表3対1の巨人リードまで戻る。巨人先発・斎藤雅は8回まで好投を続けていた。9回ももちろん続投。普通ならこれで良かっただろう。だが、前日リリーフを失敗している槙原を今後もストッパーとして起用していくのであれば、回の頭から投げさせ、イージーに失敗を返上させてやるべきだった。最低でも二死一、三塁となった場面で投入すべきだっただろう。ところが、槙原は1点差、二死二、三塁というリリーフとしては最も過酷な場面で投入された。そして、安打を許し逆転を許した。動揺した槙原はつづく西山に死球を与え降板した。
ストッパー槙原は連夜のリリーフ失敗で自信を大きく失った。試合には勝ったが、巨人の大きなものを失った。
くしくも、我がドラゴンズは開幕10連勝。未だ135勝ペース。
1月、高校サッカー、東福岡対帝京戦の雪の中の決勝戦が心に残っている。この決勝戦が象徴するように今年はじめの関東地方は大雪に見舞われることが多かった。実家の富士吉田では1メートルを越す雪が降ったという。
2月には、長野の冬季五輪。161センチと小柄な清水の活躍、4年前の屈辱を晴らしたジャンプの原田などが印象深い。
3月には、大部分の同級生が大学を卒業した。来年こそはちゃんと俺も卒業せねば。
4月、就職活動をボチボチとし始めてみる。いろいろ話を聞いたりする機会が持てて良かった。
5月、就職に関し、プレゼンをしなければならなかったりとにわかに忙しくなった。
6月、日本、念願のワールドカップ出場。しかし、残念ながら3連敗という結果に。まあ、今考えてみればこれで良かったのではないかとおもう。次への楽しみもできたしね。ただ、直前のカズの代表落ちは驚きとともに時代の流れを感じた。就職が無事、情報系某社に内定したのも6月だった。
7月、友人の死。突然の出来事だった。驚きだった。
8月、なんといっても横浜高校の春夏連覇が心に焼き付けられている。準々決勝では延長17回の激闘。準決勝では6点差からの奇跡の逆転サヨナラ劇。決勝ではなんとエース松坂がノーヒットノーラン。こんな心に残る大会は今までなかったしこれからもないのではないだろうかと思う。甲子園で投げ抜いた投手はプロ入りした後、大成しないケースが多いというが、松坂投手には頑張ってほしい。
9月、北朝鮮のミサイル誤射という物騒なニュースが入ったが、中田のセリエA鮮烈デビュー、マグワイアの本塁打記録などスポーツ界は明るかった。
10月、学祭のソフトボール大会では5回目の挑戦にして初優勝。嬉しかった。
11月、33年ぶりというしし座流星群がマスコミをにぎわせた。俺も見ようとしたが2個をやっと確認できただけ。期待はずれだった。おまけにこの日の夜の寒かったこと寒かったこと・・・。
12月、アメリカとイギリスがイラクに空爆。遠くの出来事ではあったが、お隣の北朝鮮のことを考えると他人事とは思えない。
思い返すと、社会は暗いニュースばかり。たまの明るいニュースといえばスポーツ関係だけだった。どこぞのCMではないが来年は「苦」ばかりの1999年ではなく、「いい年」の平成11年であってほしい。
個人的には、大学を卒業し就職する(予定)。なにかと変化の年になるだろうから、頑張っていきたいね。