このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年7月31日

7月31日(土)晴

今日は夜、高校時代の部活動でお世話になったS先生の退職記念パーティのため、実家の吉田に帰って来た。親しまれていた先生だけありパーティには百数十人が集まった。久しぶりの顔にも会った。楽しい一夜だった。

1998年7月31日

7月31日(金)曇

日、巨人・ガルベスが審判にボールを投げつけ退場。前から荒くれものとは思っていたが、これじゃガキと一緒だ。危険なガキは故郷に帰っていただきたい。

まあ、どっちにしろ連盟から厳罰が下ることだろう。逆に厳罰下さにゃいかんでしょ。どんな処分が下るか楽しみだ。

1997年7月31日

7月31日(木)曇

夏ということで、髪を短めにした。ツーブロックで多少長めだった髪がだいぶすっきりした。ついでに、床屋から帰ってハイブリーチで脱色したのだが、匂いで気持ち悪くなった。

夕方からは翌朝まで、日払いでS川急便のバイト。これが、自己最大級に大変なバイトとなった。つづく。

1997年6月 7日

6月7日(土)晴

うーん、今日は実にさわやかな天気だった。早朝はジーニアス(僕の所属する野球チーム(←このところレポート漬けでこの日記までちょっとレポート調。))の野球の試合があった。試合結果は11-0。いつものとおり勝ちだ。自身ヒットも打ちノーエラーで無難なのだが、スローイングとかバッティングとかで足腰の粘りのなさを感じた。ちょっと走り込みが必要だな。

そして、午前中から図書館で今日も実験レポートに勤しむ。幾分か9日の締め切りまでに仕上がる目処もついてきた(謝 to S木T聡)。一時期の危機的状態によるブルーな気分もだいぶ晴れてきた。実験レポートという巨大台風がとおりすぎるのも間近だ。その後は、台風一過の快晴といきたいね。

1999年8月26日

8月26日(木)晴

会社の自衛消防隊というのに入っているが、今日、市内の十数社の自衛消防隊が集まっての合同練習があった。なんか異様に気合が入ってるところとかあった。感心するね・・・。

1998年6月 1日

6月1日(月)曇

よいよ、明日に差し迫ってきた個人面接のプレゼン。午後から研究室で練り上げて、OHPフィルムをうんとこさとして作り上げ、家に引き返す。そして、プレゼンの練習を一応した。

1998年9月16日

9月16日(水)曇

日で前期試験が一段落ついた。昨夜はほとんど寝ていなかったので夕方から飯も食わずに爆睡した。

1998年9月18日

9月18日(金)曇

日、元X-Japanのトシの洗脳問題がワイドショーをにぎわせている。で、今日のビッグトゥディには問題のセミナーのトレーナのマサヤなる人物がトシとともに登場した。ま、当然ながらつっこまれまくったわけだが、なんかよくわからない憶測でつっこまれたりもしていた。そのマサヤなる人物を弁護する気など毛頭ないわけだが、その報道にはだいぶ公平さを欠いていたように思う。番組全体がセミナーつぶしに完全にかかっていた。あれでは、視聴者の大部分は公平に物事を理解しないうちに「セミナー=悪」という図式になってしまうだろうな。

この問題は「洗脳」が問題になっているわけだが、マスコミによる「洗脳」にも注意したいものだ。

1998年5月23日

5月23日(土)晴

日草野球の試合に行く予定があるのでバッティングセンターに行った。土曜の夜ということで、結構込んでいたのだが、小学校に上がるか上がらないかなんだが、とてもきれいなスイングをしている少年がいた。当然力がないので、大した当たりは打てないのだが、少し見入ってしまった。どうも、父親と一緒に来ていたようだが、聞いていると、結構その父親が適切なアドバイスとかしていた。

野球でバッティングに関しては、小さな頃で大部分決まってくるように思う。この少年は将来有望だろう(多分)

1998年12月18日

12月18日(金)晴

在、タイ・バンコクでは盛大にアジア大会が開かれている。このなかで、16日の新聞に奇妙なルールの記事を見つけた。3位なのに銅メダルをもらえなかったという記事だ。この理由は、アジア・オリンピック評議会(OCA)に1カ国でメダルを独占しないという憲章があるためである。そのため、1-3位を同じ国で独占すると、3位の選手は銅メダルをもらえないらしい。

なんとなく、この憲章のいわんとするところはわからないでもない。ただ、そんな形で3位なのに銅メダルをもらえない選手、4位なのに銅メダルをもらう選手はどんな気持ちなのだろうか。3位の選手にしてみればなぜもらえないんだという気持ちであろうし、4位の選手にしてみてもその銅メダルに何の意味があるのだろうか。この憲章は国単位のことしか考えておらず、まるで選手単位のことは無視されてる悪法と言っていいだろう。

さらに問題なのは、このアジア大会におきこの規定が不統一であるということ。ボウリング女子、アーチェリー女子個人では「1カ国でメダルを独占しない」というOCAの規定が適用されたのに対し、馬術の馬場馬術個人では韓国選手が1-3位を占めたが、独占を認めている国際競技連盟(IF)の規定によりそのままメダリストとして表彰された。