このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年7月20日

7月20日(火)雨

朝方4時頃、名古屋をたった。しかし、愛知県中部から静岡県西部くらいにかけてこの時、局地的な大雨に見舞われていた。前が何も見えない。おまけに眠い。思わず、まぶたが・・・。やっとの思いでパーキングエリアまでたどり着いて、仮眠をとることに。途中、かなり寝ていたり休憩したりしたので、藤沢に着いたのは昼の2時前だった。

家に着くと早速の爆睡モード。明日からはまた仕事や。

1998年7月20日

7月20日(祝)曇

日、高校野球青森県大会2回戦、東奥義塾が深浦高校を122-0というとんでもないスコアで下すという試合があった。実に東奥義塾は7本塁打含む86安打、76盗塁を記録した。

この122-0というスコアは地方大会も含めて最多得点記録らしい。まあ、すごい記録だと思う人も多いことだろう。

ただこれは、異論のある方もあるかとは思うが、野球という名を借りた「リンチ」である。アメリカ大リーグなどでは、試合の決した試合で、勝っているチームの方は、積極的に攻撃に出ないという。先日も、パ・リーグの試合で外国人投手(誰かは忘れた)が大量リードにもかかわらず、送りバンドを試みてきた近鉄ベンチに激昂したという一件があった。

そんな点からみても、86安打はまだ許す余地があるとしても76盗塁はないのではないだろうか。かつて「松井の5打席連続敬遠」が大問題となったが、そんな問題よりずっとこの「122-0」には問題を含んでいる気がする。

くしくも、今日、東奥義塾は田名部高校というところに3-14という大差で敗れ去った。

1997年7月20日

7月20日(日)晴

夕方から、みなとまつりで模擬店のバイト・・・のはずだった。ところが、時間になっても全然場所が見付からない。というより会社へ電話してみたところ、雇い元が迷って来ていなかったらしい。そして、しばらく待つことにしたが、一向に現れないし、会社の方への連絡も取れなくなった。

そして、想像してみてほしい。花火を見に来て楽しそうな民衆に対し、雇い主も現れずひとりタバコをくわえるオレ。その相対効果で怒りも絶頂だ。結局、1時間ほど待ってやったが、怒りとむなしい気分を胸に家に帰る。今日現在まだ、なんの連絡もないが詫びとともに最低でも交通費は払ってもらわんと許されん。

1999年8月13日

8月13日(金)雨

明日からいよいよ夏休みだ。で、まず土日は毎年恒例の揖斐川キャンプである。今回は夜通しで一般道で名古屋まで行くことにした。長い道程だった。7,8時間はかかった。途中で、大雨にも巻き込まれた。

1999年8月20日

8月20日(金)曇

今日の甲子園準決勝、2試合とも素晴らしい試合だった。去年とは違い取りたててスター選手がいない(というか去年が異常だったのかな?)今年だがやはり勝ち残るべくして勝ち残った4チームであったと思う。今週に夏休みを取って遊ぶ相手がいなくて残念だが、甲子園の一番の旨みの部分を堪能できて良かったといえば良かった。(でも、やっぱり来年は出来ることなら皆が休んでる時に休もう)

1998年3月18日

3月18日(水)晴

日は原付で移動する用事があった。ここんとこだいぶ暖かくなってコートはいらなくなってきたのだけど、原付に乗るにはまだコートが必要だ。

1997年7月13日

7月13日(日)雨

昨日に引き続きダラダラとした一日を過ごす。夕方頃、やっと目覚めた。たまにはいいが、2日連続もこんなことを繰り返すと反省せざるをえない。時は金なりだ。

1998年4月22日

4月22日(水)曇

H社のセミナーに行ってきた。なんかいまいちな印象。

夜には、研究室の新歓もあった。ふぅ、疲れた。

1998年8月15日

8月15日(土)曇

之内キャンプ最終日。天候が懸念されたが、予定通り、揖斐川の河原でバーベキュー。心臓に悪そうなほど水温も低かったが、川にも入水。疲れ果てたが、輪之内キャンプ終了。明日は高速バスで実家・富士吉田に帰省。

1997年9月 4日

9月4日(木)晴

昼過ぎにやっと目覚めた。今日こそはミッチリ試験勉強をしようと思うが、夕方からは家庭教師のバイトなどもあり大して出来なかった。ちょっとは焦らないといけない立場なんだろうが。明日は朝から図書館へ行こうと思う。