このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年6月26日

6月26日(金)曇

勝トーナメント進出の望みは消えていた日本ではあったが、最終戦ジャマイカ戦があった。楽観的な意見が多かったジャマイカ戦ではあったが結果は1対2の負けだった。結局、日本は予選リーグ3敗。得点こそ最終戦で呂比須-中山のベテランコンビでかろうじて得点は挙げたものの勝ち点は挙げられなかった。

今日は終幕したワールドカップフランス大会における日本を総括したいと思う。技術的な面、選手起用などは私が言えるような身分でもないのでとりあえず割愛。

よって精神的な面による総括となるが、はっきり言って日本はモチベーションが不足しすぎていた。明らかに、アルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカさえ終わってみると格上であった。しかし、目に入ってくる日本代表の姿はアジア予選、さらにはJリーグのおけるその姿とさして変わらなかった。負けているのに、城を中心に中田など笑顔を浮かべていた。そんなクールさはワールドカップでは通用する訳もなかった。

そして、岡田監督が当初言っていた「1勝1敗1分」。確かに妥当ではあるが、人間は楽な方向に進んでしまう生き物。目標は70~80%しか達成出来ないという説もある。そんなアホな~と言われながらも「3勝」と言っておくべきではなかっただろうか。

さらに、現在の日本代表のスタッフの問題。確かに有能な人材が集まっていたのかもしれないが、なにぶん、日本は初出場。ワールドカップに対する経験のあるスタッフが欲しかった。例えば、ジーコとか。アジア予選の危機を回避させワールドカップ進出へと導いた岡田監督ではあったが、所詮、まだ代行監督でしかなかったのかもしれない。

名良橋は大会前、「チーム(鹿島)のメンバーには悪いが、ワールドカップで全てを燃やしつくしたい」というようなコメントを残している。まさに、全員が最初から、この意気で臨むべきだっただろう。

ジャマイカ戦、0対2となってから得点を取ろうと選手が全員いきいきと動き出した。そして、次々と決定的なチャンスを奪った。アルゼンチン戦から通じてずっと椅子に座ってどっかり観戦していた私だったが、テレビの前まで乗り出して熱狂した。ついに、中山がワールドカップ日本初得点!。「鮮やか!」ではなかったが気持ちが入った実に素晴らしいシュートだった。

終盤、ワールドカップ初出場した期待の若手・小野も実にいい働きをした。平野も結構良かった。

2002年に楽しみな人材も出てきた。精神的な面、決定力不足(シュートはワクにおさめましょう!)など課題もしっかり露呈された。

最後。中継で「岡田、腹切って詫びろ」とヤジっていた福岡のたわけボケ! じゃあ、お前だったら何が出来るんだ? 勘違い野郎な福岡の君には、雑魚(ザコと読むんだよ)認定書とカス認定書をダブルで送ろう。

1997年6月26日

6月26日(木)晴

あちゃら5月号に続き、D-ZONEが「インターネットでプロ野球を楽しむ方法'97(ランディング編著、BNN、1700円)」という本のP.140で紹介された。本屋で見かけたら見てほしい。当然、僕は買ってしまった。1700円は高かったが・・・。

それにしても、最近だんだん暑くなってきた。蒸し暑い。T田さんでないが、ビールがうまい。

1998年7月20日

7月20日(祝)曇

日、高校野球青森県大会2回戦、東奥義塾が深浦高校を122-0というとんでもないスコアで下すという試合があった。実に東奥義塾は7本塁打含む86安打、76盗塁を記録した。

この122-0というスコアは地方大会も含めて最多得点記録らしい。まあ、すごい記録だと思う人も多いことだろう。

ただこれは、異論のある方もあるかとは思うが、野球という名を借りた「リンチ」である。アメリカ大リーグなどでは、試合の決した試合で、勝っているチームの方は、積極的に攻撃に出ないという。先日も、パ・リーグの試合で外国人投手(誰かは忘れた)が大量リードにもかかわらず、送りバンドを試みてきた近鉄ベンチに激昂したという一件があった。

そんな点からみても、86安打はまだ許す余地があるとしても76盗塁はないのではないだろうか。かつて「松井の5打席連続敬遠」が大問題となったが、そんな問題よりずっとこの「122-0」には問題を含んでいる気がする。

くしくも、今日、東奥義塾は田名部高校というところに3-14という大差で敗れ去った。

1999年9月11日

9月11日(土)

CDラベルメーカを買った。これでCDラベルを作ってオリジナルCD完成や。

1998年3月22日

3月22日(日)晴

朝の新聞の3面記事にキューバの野球選手ら5人の亡命の記事が載っていた。記事によると、約150キロ北にある米フロリダ州キーウェストを目指したが、海流で東に流され約1300キロ離れたドミニカ共和国に半死半生の漂流9日間の末に着いたという。しかし、ドミニカとキューバには難民引き渡し協定があるらしい。いったいどうなるのだろう。

1998年10月 9日

10月9日(金)晴

日、毎年恒例の名大祭秋祭のソフトボール大会がある。今年で参加するのは5回目。1年目ベスト4、2年目準優勝、3年目準優勝。しかし、皆が老体化した昨年は1回戦で敗退の屈辱。今年は雪辱なるか。夜は明日に備え(?)、N島が泊りに来た。

1997年9月 1日

9月1日(月)晴

今日は、松阪大学との試合があった。善戦したが終盤逆転され惜敗。そして、いよいよ秋季リーグ戦も残すところ1試合となった。

1999年9月 6日

9月6日(月)

めざましてれびを見ていたらおひつじ座が今日の運勢ナンバー1だった。なにかいいこと起こるかなと思っていたが夕方まで何もおきず。さあ家に帰るかなとバス停に行くといつもさんざん待たされるバスがちょうど来た。駅に着き料金を払うため財布をあさるとなんと小銭がちょうど180円!電車の改札を通るとまさにその瞬間に電車が来た!やっぱり今日のナンバー1だった。しかし、こんなところで無駄な運は使いたくなかった・・・。

1999年9月20日

9月20日(月)

先週はずっと研修だったから久々に藤沢への出社だ。話し相手がいるっていうのはいいね。