このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1998年11月16日

11月16日(月)晴

本のプロ野球のフランチャイズの球場がいつのまにか人工芝の球場ばかりになった。いまでは、人工芝でない球場は甲子園、広島市民、GS神戸のわずか3球場だけである。それ以外はすべて人工芝の球場なのだ。人工芝のメリットは確かに大きい。維持費が安く済む、野球以外にも多目的に使える、などなど。しかし、致命的なデメリットがある。それは、エキサイトなプレーが確実に少なくなるということ。誰が、飛びつくとヤケドするようなところで、率先してエキサイトなプレーが出来ようか。

このことに関連して、共感を覚えるマンガがヤンマガで始まっている。「GrassBreath」というのがソレ。主人公の宇佐見樹は、人工芝の球場では試合に出場しないなどとんでもない契約でプロ入りするというのが、さわりの部分。ちょっと注目だ。

1997年11月16日

11月16日(日)晴

やったああああ、つ、ついに日本サッカーがワールドカップに出場だあ!!!正直、俺がこのことにこんなにも喜ぶとは思わなかったが、N島、F津、E原らの悪友とともに、肩を抱き合って喜び合った。うおう。うれしい!!!

しかし、このイラン戦。日本がワールドカップ初出場を決めたのみならず、いろいろな意味を持つ試合となった。今まで、数年の間、日本のエースとしてフル出場していたカズの途中交代。そして、その時点で1-2と負けていた日本は代わった城の同点ゴール。そして、延長後半でやっとこさ決まった、やはり途中出場の岡野のVゴール。カズはいなくとも十分な試合運びをした。

カズの時代は終わったのだろう。貴乃花に負けた千代の富士に似たものがある。そして、時代は中田中心の時代へ?!

とにもかくにもこの試合、岡田監督の采配はズバリと決まっていた。岡田監督はやはり名監督なのだろうか。それとも、ただの幸運か。人材起用を的確に捉えていることだけは確かだろう。

う~ん、良かった。ワールドカップでもどうぞ頑張ってくれ(正直そっちの方はどうでもいい)。

1996年11月16日

11月16日(土)晴

 今日は、早朝野球で一日が始まった。アサヒビール杯決勝戦。これで今季の試合は最後だ。試合こそ買ったもののこの日、僕は2エラー2三振、超ブルーだ。この後、軟式野球部の後輩の練習を見に行く。僕たち3回生が、引退して新チームになり初の練習であった。まだ、新チームになったばかりなので、ムードにぎこちなさはあったが、まあそのうちなんとかなっていくものだろう。

 午後からは、4ケ月ぶりに栄の英会話スクール・Bリタニカに行った。高い金を出しているので、これから本腰を入れて、頑張ろうと思う。レッスンが終わった後、栄界隈をぶらついたのだが、今日は異様に人が多かった。後でわかったのだが、今日はナディアパークのオープンだったらしい。そのうち、行ってみよう。

 家に帰り、晩飯も食わず寝ていたのだが、友人F津、N島から2時頃電話があり、酒を飲む事になった。酒の誘いは断われない。

1998年6月 4日

6月4日(木)晴

日、ドイツの新幹線「ICE」が時速200キロで脱線したということだ。今日、新聞で写真を見たが、とても、本物とは思えないような光景。まるで、子供がおもちゃの電車をちらかしたような光景だった。死者も90人を越したとのこと。おそろしい。原因究明が待たれる。

1997年6月11日

6月11日(水)曇

今日は、昼からチラシのポスティングのバイト。時給1000円×6時間のお仕事だ。個人が信用されている仕事でマイペースで出来るので、精神的には楽だった。しかし、チラシを1000枚カバンに入れて動き回るのはかなりしんどい。そして、ひたすら孤独の仕事だ。特に、何枚配らなければならないというノルマはないのだが、集合住宅を見つけると走らずにはいられなくなる。カバンがしだいに軽くなるのも妙にうれしい。

お楽しみは、食事代1000円を自由に使っていいこと。久しぶりに吉野家で牛丼食った。夕方7時までに、とにもかくにも1550枚のチラシを配った。歩くのが好きな人には結構いいバイトじゃないかな。それほど、まじめに頑張らなくても何にも言われないだろうし。また、そのうち機会があったらやろうと思う。そのうちね。しかし、疲れた。足腰が弱ってる俺にはちょうど良かったが。

そして、6000円ゲット。しかし、この6000円は昨日の二段階右折ですべて相殺。涙 & 激ムカ→警察。

1997年9月29日

9月29日(月)晴

早朝野球の試合のだった。今朝は5対2。個人的にはやっと、守備の感じが戻ってきた感があり、胸をなで下ろした。ただこれからの時期、朝の6時頃というのはサードから見て太陽がもろにホーム方向から出てくる。こいつもまた、難敵である。

このところ、ハマッている「信長の野望将星録」。ついに、武田義信は1599年8月上洛を果たした。そして、1600年7月には征夷大将軍に就任した。しかし、年かかりすぎかなあ。

1999年1月28日

1月28日(木)曇

ガルベスが日本に帰ってきた。全く、信じられない。日本のプロ野球はなんて甘いんだ。昨年7月31日、審判に向けボールを投げ付けたという行為。幸い、危害こそなかったが、場合によってはとんでもないことになっていた行為である。プロ野球というファンにとっては神聖な場で、神聖なボールをヤツは凶器として用いたのだ。日本のプロ野球につばをかけたに等しいのだ。そんなヤツが日本のプロ野球にまた戻ってくるなんて。甘すぎだよ。巨人ファンはどう考えているんだろう?すくなくとも、プロ野球ファンのオレは幻滅だ。また、巨人が嫌いになった。

1999年10月10日

10月10日(日)

夜、友人Iに誘われRQPへ行った。

1997年4月 5日

4月5日(土)雨

今日は、個人的に早朝野球の試合、軟式野球部の試合とWヘッダーが組み込まれていたが、残念ながら雨模様。一日、家でなにをするともなく過ごすことになった。

昼は甲子園を見ていたのだが、やはり甲子園も雨で、とんでもない状況でやっていた。負けて最後、甲子園の土を持って帰る選手たちもほとんど甲子園の土でなく、甲子園の泥といった方が良かっただろう。それにしても、久々に愛知の古豪、中京がベスト4へ進んだ。注目だ。

1997年4月 2日

4月2日(水)曇のち雨

今日も、野球部の試合に行ってきた。一応、引退した身だが、これで、この春6試合目のベンチ入りだ。しかし、ある意味余裕を持って野球ができるので楽しいといえば楽しいのである。

試合の方は、中京大に0-1で敗れた。スコアこそ接戦だが、ほとんど手も足も出ない0点だった。ただ唯一最終回、T田の右中間への長打により、ホームでのクロスプレーがあった。K光の足がもっとはやければ同点だったのだが・・・。エキサイティングな最後だった。