このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

1999年1月19日

1月19日(火)晴

研究関連ではじめて本格的なJavaプログラミングを試みてみた(こんな感じ)。結構、手軽でおもろい。暇になったら、ハマりたい(でも、暇になったらもっと他のことにハマるんだろうな)。

1998年1月19日

1月19日(月)晴

今日締め切りのレポート。日付が変わる1時間前に教授のポストに入れてきた。一応、締め切りは1月19日とあるだけで時間は書いてなかったけど、間に合ったと見てくれるかどうか・・・。

1997年1月19日

1月19日(日)晴

 軟式野球部の連盟の委員会が夕方からあった。やることは前回、決めきれなかった新役員の選出だけであったので委員会は1時間ほどで終わった。

1997年8月30日

8月30日(土)晴

午前中、鶴舞のグランドで練習があった。今日もまた暑いの一言だ。

1998年6月 1日

6月1日(月)曇

よいよ、明日に差し迫ってきた個人面接のプレゼン。午後から研究室で練り上げて、OHPフィルムをうんとこさとして作り上げ、家に引き返す。そして、プレゼンの練習を一応した。

1998年8月29日

8月29日(土)曇

チの大学の医学部の教授がまた一人捕まったそうな。まっ、俺には関係ないが・・・。

2002年8月 8日

今日も暑かった

連日酷暑がつづくが今日もうだるような暑さだった。

そんな中、今朝は雲ひとつない快晴で、通勤途中チラリと富士山が見えた。
わずかながら得した気分だ。


1999年10月28日

10月28日(木)晴

ドラゴンズは日本シリーズ、1勝4敗に終わってしまった。振り返れば全くドラゴンズのらしさ、いいところを全く見ることができなかった。まさに、そんなシリーズを象徴したのが今日の3回表、一挙6点を取られた回だった。なんでもないピッチャーゴロを野口がエラー、つづいて満塁からショート福留が今シリーズ3個目のエラー(ま、これはいつものことだが・・・)。この後、2点タイムリーを打たれた後、満塁からとどめの井上の走者一掃3点エラーである。この屈辱を必ずや来年晴らしてくれることだろう。

今年のシリーズは優勝決定からダイエー、中日ともに1ヶ月近くもの期間が空いた。この長いブランクが勝負の分かれ目だった。ダイエーはこの期間データをかき集めた。その一端が大胆なダイエーの守備シフト。再三再四このシフトに安打コースをさえぎられた。反面、中日はその長いブランクで試合感を失い最後までその試合感を取り戻すことができなかった。

どちらにせよ、優勝から日本シリーズへのこの長いブランクは問題だろう。まるで、日本シリーズがシーズンの付録のようである。

1998年9月 7日

9月7日(月)曇

日ふと考えたこと。野球ではどうして、一塁に走る時だけは駆け抜けていいのだろうか。二塁、三塁の時はベースについても離れたらタッチアウトされるが、打った後の一塁の走塁だけは駆け抜けてもOKである。

この謎を解くべく、駆け抜けが不可の場合を仮定してみた。一塁ベースをついた後に、ベースから離れたらいけないので、当然、スライディングをすることになるだろう。際どいタイミングならともかく、明らかにアウトの場合もエラーする可能性を考えスライディングしなければならない。うーん、大変だ。ユニホームはあっという間にボロボロになりそう。スポーツメーカーは大儲けだ。対して、選手はユニホーム代がかさみそう。金がかかるゆえに、野球人口も減ってしまう。なるほど、これは貧乏人救済のために作られたルールだったのか。

1998年9月29日

9月29日(火)曇

家であまりにも暇だったのでバッティングセンターに行ってきた。上暮地にある某Wバッティングセンターだったが、ひどいバッティングセンターだった。前にも行ったことがあったが、こんなにひどいバッティングセンターだったろうか・・・。コントロールめちゃくちゃ、時には届かないボールさえ来た。900円返しやがれ。俺以外、客は一人もいなかったが、あんなバッティングセンター、多少野球がわかる人間だったら1回行ったら二度と行く筈がない。