このサイトについて

このサイトは,1996年より2003年まで連載(?)され,sanadas.net 本日のコラム。の前身にあたる,猛者日記旧・本日のコラム。をブログとして復刻したものである.

記事の追加はされないがトップページの記事は定期的に変化する.

2003年4月21日

偉大なる開拓者

野茂がアメリカに渡ったのは1995年。
しかし、イチローや松井のようにすっきりした形の渡米ではなかった。
94年オフ、契約交渉にて「複数年契約」「代理人制度」を要求した野茂と近鉄の交渉が決裂。
任意引退選手となりメジャーへ挑戦する運びとなった。
当時としては(今も?)、選手が球団に楯突くことなどご法度。マスコミなどの野茂へのバッシングはそれは壮絶なものだった。
野球解説者の評価も一様に良くなく「無謀」な挑戦という声がほとんどだった。
1年目から、オールスター出場、新人王などという輝かしい結果で払拭したのは周知の通りだろう。

現在、日本人選手がメジャーで活躍することはさして珍しいことではなくなった。
しかし、野茂の存在なくしてそれは実現したかどうか・・・

偉大なる開拓者は今日、メジャー100勝という「通過点」を越えた。

1999年4月21日

4月21日(水)晴

ワークショップがようやくひととおり完成。発表も終ればNPE研修も終了だ。

1998年4月21日

4月21日(火)曇

H社の人と今日は会った。そして、学科の事務には希望調書も出してきた。就職に関しては、考えれば考えるほどわけわからなくなってくる。

1997年4月21日

4月21日(月)曇

朝、早朝野球のチームの方の試合があった。打撃は好調のはずだったが、概して、やけに自信がある時に限ってヒットが出ないものだ。三ゴロ、三ゴロそして3打席目はいい当りだったが、ショート正面のゴロ。おまけに、エラーまで1つ記録。朝からちょっとブルーだ。

1997年10月27日

10月27日(月)曇

昨夜、本山駅の裏あたりでシンナー少年三人組に絡まれかけた。「オイ」言うから見たら「何見てんだ」ときたもんだ。そりゃ「オイ」言われたら見るっちゅうに。

それで、ほかっといたら「待て~」ときたもんだ。そりゃいきなり追いかけられたら逃げるっちゅうに。

それにしても、後から考えれば考えるほどムカつく若造だった。刺されたくないから関わらないのが妥当だったとは思うけど。

1998年7月21日

7月21日(火)曇

んもなし。

1999年2月 2日

2月2日(火)曇

卒論に関し、昨日から考えに考え抜いてやっとわかったことが結局、使えないという結論に陥った。まあ、そんなに物事うまくいかないか・・・。しかし、2進数の世界はもう嫌じゃ。考えれば考えるほど人格が破壊されていく気がする・・・。

ところで、次の日曜日(7日)に愛知県は県知事選挙をひかえている。どうやら、新聞などを見る限り、【本命】神田氏(=自民、民主、公明、自由推薦、社民支持)【対抗】影山氏【注意】柴田氏といった感じのようだ。県民レベルではあまり注目視されていないようだが、焦点となるのは「2005年愛知万博」である。この万博、「万博」という言葉だけが一人歩きして県民にはその内容が全く浸透していない。なんの万博?といった感じなのである。それに、博覧会なんていうのはもう時代遅れなのではないだろうか。そんな万博のために、森を荒らし巨額な投資をしようとしているのだ。やめとくなら今のうちでしょう。ちなみに、万博賛成は本命神田氏、万博反対が影山氏、柴田氏である。

1997年5月 1日

5月1日(木)晴

今日、名古屋大学は創立記念日。お休みであるが、早朝野球の試合のために4時半に起きた。今朝は結構冷えていた。その中、原付をかっとばしてグラウンドに行ったのだが・・・。相手チームが一人も来ない。我がチームは不戦勝となった。休みに早起きしたというのに。家に帰り、再び眠りに就いたのは言うまでもない。

1999年5月13日

5月13日(木)晴

波留(横浜)のプロ野球選手あるまじきプレーを見た。今日の中日対横浜。試合は7回に中日が一挙8点を挙げ、2対11と完全に決まっていた。その直後の波留の問題のプレー。初球、クソボールを空振りすると、ショートへの凡ゴロを打つや一塁への走塁をやめてしまった。見ていてこっちが恥ずかしくなるくらい腐っていた。あれじゃまるで小学生だ。蒸し返すようだが、やはり「脱税事件」を起こすようなヤツはこんなもんかと思ってしまう。

1999年2月 5日

2月5日(金)曇

徹夜で卒論第2稿を完成させた。朝、教授に提出に行ったが、すでにおでかけになっていた。ガックシ。徹夜した意味ないやん。

打ちひしがれて帰宅した10時半。ラジオを聞いていたら、「モーニング娘。」・矢口がゲストで公開生放送が昼から栄であるとのこと。ひそかにモーニング狼。である俺は、ちょっとのぞきにいくことにした。会場は熱狂的なファンで一部異様なムードだったが、一般人も多かった。こういう会場を見るのははじめてだったので新鮮だった。しかし、徹夜明けで俺は何をやってるんだという気もした。徹夜明けでちょっと壊れてたかなという気がした。ロフトやパルコをブラブラして帰途に着いた。

1997年6月10日

6月10日(火)晴

昼過ぎ、内外学生センターへ行き、明日の「イベントのチラシを家庭ポストへ投函」するバイトと日曜日の「模擬店手伝い」のそれぞれ日払いのバイトを紹介してもらってきた。それぞれ、6000円のバイト。これで、金欠状態からしばらく脱出だと思い、満足げに家に帰る。そして、なにげに交差点を曲がる。そこには、パトカーが止まっていた。
 「おっ、なんか事故でもあったのかな。」
 「あれ、だれか止められてるよ、かわいそうに。」
そして、警察官は俺の前に立ちふさがる。おい、ちょっと邪魔だよ。止めるのは俺じゃねえだろ。ん、もしや止められてるのは俺?でも、今日はヘルメットかぶってるし。もしや原付のライトがつかないから?いや、けど真っ昼間だしなあ。あっ、なんかの検問か?

絶対、止められているのは俺じゃないと思ったから止めてる警察官をあやうく轢きかけた。違反内容はあの「二段階右折」。二段階右折?あんな小さな交差点なのに。たしかに四谷通3丁目の交差点は交差点のところだけ半ば強引に3車線になっている。けど、どこのどいつがあんな交差点で二段階右折するんじゃ。そこで、二段階右折している原付など過去1度しか見た事がない。というか、かえってそんなことしてたら危ない。罰金6000円

6000円?明日のバイトの給料やんか!俺はなにしに行ってきたんだあ!明日、警察のためにボランティアでチラシくばりのバイトをするハメになった。トホホ・・・・。

二段階右折など鈍臭いオバチャンだけにさせときゃいい。