« 1998年10月 | メイン | 1998年12月 »

1998年11月30日

11月30日(月)曇

このところ、民主党の菅直人が不倫問題でワイドショーに総攻撃をくらっている。当然、批判の嵐であるのだが、私は批判的に受け止めてはいない。むしろ、肯定的に受け止めている。やはり、国家の上に立つような人物は魅力的でなければいけない。そんな人物であれば、不倫の一つや二つ発生するのは当然だろう。そんな折、ここぞとばかり集まるワイドショーレポータには見苦しさを感じる。そんなこと言いつつワイドショー大好きなんだが・・・。ただ、疑惑として言われている公私混同はいかん。さらに不倫はバレないようにやりましょう。「文化」だと思っている人間は某石田純一ぐらいだろうから。

1998年11月29日

11月29日(日)晴

間、二日酔いで頭を抱えているとF川さんから久しぶりに電話があった。ついに結婚なさるらしい。で、1月に結婚パーティに呼んでいただけるらしい。しかし、にわかに身近な人物の結婚話が増えてきた。いつのまにかそんな年なのか・・・。この10年の間におそらく、大半の人間が結婚するんだろうな。ここんとこ長らく、カノジョのいない俺にはピンとこない話や。

1998年11月28日

11月28日(土)晴

は岐阜で飲み会。N島と上小田井で待ち合わせるも仕事で遅れるとのこと。電車で岐阜を目指すこととなった。名鉄で犬山まわりで岐阜を目指したのだが、犬山~岐阜間は不安を感じるほど閑散としていた。俺はいったいどこへいってしまうんだろうかと。すっかり、テンションも下がりようやく岐阜へ到着。飲み会では久しぶりによく飲んだ。楽しい飲み会だった。しかし、岐阜は遠い。

1998年11月27日

11月27日(金)曇

ロ野球ドラフト会議の問題がとんでもない事件となってしまった。オリックスの編成部長三輪田氏が那覇市内のマンションから飛び降り自殺した。オリックスはダイエーを希望していた沖縄水産・新垣渚投手をドラフト1位で強行指名し、交渉が難航どころか、交渉の席さえ持てずにいた。そのことが自殺の動機の一つだと言われている。

三輪田氏自身も学生時代、近鉄のドラフト指名を蹴って社会人に進み、その後、阪急に入団という経緯もあり、そういった面からの苦悩もあったのだろうか。しかし、三輪田氏の自殺はあまりに罪深い。図らずも、間接的ながら、見かけ上、人一人を殺すことになってしまった新垣投手(あまりに乱暴な言い方ではあるのだが)。進路で悩む同投手にとって、二重三重の苦悩だ。これは、三輪田氏の苦悩以上の苦悩といっても過言ではないだろう。人一人の死を背負い込んでしまったのだから。

私は陰ながら、新垣投手がこのことに負けず、自分の道を進んで活躍してくれるように応援したい。そして、責めて、この事件を機に現在のドラフト制度が改善されるよう願いたい。

1998年11月26日

11月26日(木)晴

んもなし。

1998年11月25日

11月25日(水)晴

んもなし。

1998年11月24日

11月24日(火)晴

日のシャケ弁当もシャケ小さかった。どうなってんだ、Hっかほっか亭。

1998年11月23日

11月23日(月)晴

浜を希望して西武にドラフト指名された横浜高校・松坂、ダイエーを希望してオリックスに指名された沖縄水産・新垣と今年、甲子園を沸かせた期待の2投手が頑なにプロ入りを拒否している。特に、新垣などは、オリックス側と全く会おうとせず、さっさと九州共立大に誓約書を提出してしまった。

よほど、希望球団への執着が強かったのだろう。ただ、現行のドラフト制度に対する批判が大いに含まれている気がしてならない。逆指名権がある大学生、社会人に対し、教育上の配慮という理由により、高校生には逆指名権がない。これは明らかに差別的だ。高卒で入団した選手のFA権取得期間の短縮など、この不平等感を無くすよう対策しないと今後も同じようなことは繰り返されるだろう。

1998年11月22日

11月22日(日)晴

日も野球だ。今日は岐阜で草野球。昨日とは異なり、晴れて暖かかった。昨日の3試合がたたり、体中の筋肉という筋肉が張っていた。どうなることやらと思っていたが、サードの守備を無難にこなすことが出来た。打撃も相変わらず無難だったが・・・(涙)。しかし、1-4と逆転負け。これで、この草野球チームIの今年の全試合日程終了。そして、今年の俺の野球収めとなった。

来年からは就職の関係でこの草野球チームに参加できないので、自分にとってこのチームにおける最終試合となった。今年限りだったので、たいして長くいた訳ではないのだが、何か感慨深い。

もうすぐ大学を卒業し、おそらくこの地を離れる。ということで、この草野球チームのように、いろいろなことで「終わり」を迎える。「終わる」ということは、なにかにつけさびしいものだ。だが、この「終わる」ということに対する勇気は持たねばならない。何かを終わらせずに何かを始めることは難しいのだから。

1998年11月21日

11月21日(土)曇

から、名大軟式野球部OB戦があった。我が97年度卒業軍(俺は卒業してないが・・・)は順当に勝ち進み決勝へ。しかし、決勝で現役軍に敗れ準優勝。残念。だが、久しぶりの仲間と久しぶりに勝負色の強い野球が出来て、楽しかった。1日3試合は異常なほどに疲れたが・・・。それにしても、我がチームは寒さ、風にたたられることが多かった。今日も例外ではなかった。

夜、今池でOB会が行われた後、数人の連中で我が家で飲み直していたが、1日3試合の疲れはやはり偉大で、知らぬ間に皆、意識を失っていた。

1998年11月20日

11月20日(金)曇

名中のO俣、F久保の観光(?)案内をS須とした。名古屋と言えば、「マウンテン」でしょうということで山登り。F久保君には「甘口抹茶小倉スパ」を食べさせてあげた。当然F久保君は完食した(!)。いやあ感無量だ。

つづいて行ったのはナゴヤドーム。まあ、中は見ることが出来なかったが、グッズショップなどあり意外と俺も楽しめた。

そして最後は名古屋港。かなり思い付きだけだが・・・(まあ、前者の2つについても同じだけど)。そんな思い付きだけの行動が功を奏し、迷い迷って移動に2時間かかった。野郎4人で奇麗な夜景を眺めて帰ってきた。

1998年11月19日

11月19日(木)晴

後から情報工学科の研究室対抗のサッカー大会があった。で、僕も参加した訳だ。十分なイメージトレーニングの中、気合は十分だった。イメトレでは岡野のように走り回ることをもくろんでいた訳だが、そのもくろみは10分ともたず敗れ去った。右足ふくらはぎがつった! あえなく、退場。しばらく休んだら復活してきたので、再登場するも今度は右足をかばっていたため、今度は左足がつる。しかも、スローインで・・・。トホホなサッカーだった。やはり、サッカーはGKが一番楽しいかも。

夜は飲み会。火曜から調査のため、来名中のO俣に加え、F久保、O佐野が来名。それとS須と俺の5人だ。本当はかねてから、オンライン仲間のK田も来る予定だったが、突然なアクシデント(!)で参加できず。結局、ただの元理数科の同窓会となった。

2次会でボウリングに行った。2ゲーム目で自己ベストの190を記録した。1年6ヶ月ぶりの更新。実は、ボウリングの自己ベストの更新はこの1年6ヶ月という周期を忠実に守ってされている。奇妙なほど。'95.5.25に「182」、'96.11.23に「183」、'97.5.26に「189」、そして、'98.11.19の「190」。もうここまで続くと、限りなく信頼性の高い法則と言っていいのではないのだろうか。ということで、次のハイスコア更新は2000年5月20日頃に「196」と予想される。

1998年11月18日

11月18日(水)曇

日の研究中間発表のため、昨晩は徹夜。朝方(?)のしし座流星群を大学の屋上で見物した。2時頃、2個ほど生まれて始めて流れ星を確認した。ただ、残念ながら流星「群」とはいかなかった。しかし、寒かった。

中間発表はそれなりに、つつがなく終わった。

1998年11月17日

11月17日(火)曇

論の調査のため、友人のO俣が名古屋へ訪れた。夕方、名古屋大学を案内して生協で夕飯を食べた後、我が研究室に行った。そして、かねてからオンライン仲間であったO俣とS須にK田と対面させた。初対面のようで初対面ではない。何か、奇妙な雰囲気であった。

1998年11月16日

11月16日(月)晴

本のプロ野球のフランチャイズの球場がいつのまにか人工芝の球場ばかりになった。いまでは、人工芝でない球場は甲子園、広島市民、GS神戸のわずか3球場だけである。それ以外はすべて人工芝の球場なのだ。人工芝のメリットは確かに大きい。維持費が安く済む、野球以外にも多目的に使える、などなど。しかし、致命的なデメリットがある。それは、エキサイトなプレーが確実に少なくなるということ。誰が、飛びつくとヤケドするようなところで、率先してエキサイトなプレーが出来ようか。

このことに関連して、共感を覚えるマンガがヤンマガで始まっている。「GrassBreath」というのがソレ。主人公の宇佐見樹は、人工芝の球場では試合に出場しないなどとんでもない契約でプロ入りするというのが、さわりの部分。ちょっと注目だ。

1998年11月15日

11月15日(日)晴

日から体がとろけきっている。フトンから起きる気にならない。水曜日には研究の中間発表もあるというのに、困ったものだ。

1998年11月14日

11月14日(土)晴

、遊びまわって家に帰ってみると、テレビが大騒ぎだ。とんねるず・石橋と鈴木保奈美が電撃入籍とのこと。ほ~、そりゃびっくりだ。久々にビッグなワイドショーネタ。来週は、どこのワイドショーも大騒ぎなんだろうな。しかし、松方弘樹は助かったな。

1998年11月13日

11月13日(金)曇

、S木、H野、H野のカノジョのM田さんらと遊んだ。最初は、相変わらずすいている文明館で飲んだ。それにしても、いつのまにか今年も鍋や日本酒がうまい時期になったものだ。その後は、朝までカラオケに勤しんだのだった。しかし、M田さんはかわいくていい子だ(やや誉め殺しモード)。やるね、H野君。

1998年11月12日

11月12日(木)晴

リューゲルスの合併問題で揺れているJリーグでまた衝撃。ヴェルディ川崎から読売が撤退するようだ。チームは残るが、各界に影響の大きい読売だけに揺れはこれだけで済むのか。これからJはリーグ生き残りへ正念場を迎えることは間違いない。

1998年11月11日

11月11日(水)曇

、日米野球が行われているが、今日、阪神の川尻が大リーグ相手に好投したらしい。9回途中まで4安打に抑える好投。あのいやらしい投球は大リーグに通用したようだ。

1998年11月10日

11月10日(火)晴

んもなし。

1998年11月 9日

11月9日(月)曇

、研究室にA井君がプレステを持ってきているんだが、その「パワプロ」にハマっている。今日も、K田と朝方までパワプロに励んでしまった。

1998年11月 8日

11月8日(日)晴

日は草野球の試合があった。昨日まで2日間ほど、寝込んでいたせいで体がフラフラ。ろくすっぽ、十分なプレーが出来なかったが、幸運にもサードにはボールが飛んでこなかった。しかし、最後の最後でゴロが来た。ふだんならイージーなゴロなんだが・・・。タイムリーエラー。4-1のスコアが4-3に・・・。まあ、しかし、なんとか逃げ切った。次回までには風邪を治さねば。

1998年11月 7日

11月7日(土)曇

邪で昨日に引き続き1日寝ていた。咳、鼻水がひどい。はやく直ってほしい。

1998年11月 6日

11月6日(金)曇

近、チェーンメールが流行っている。先月から私のもとへ届いたその手のメール10通あまり。その内容は、「偽ウィルス情報」「当たり屋情報」「2000年問題」「ドラえもんの最終回」など。これで、チェーンメールに興味を持ちいろいろ調べたところ、その他にも「日本海重油流出事故のボランティア募集」「余命幾ばくもない少女救出のための献血のお願い」なんていうのがあるらしい。

ただ、「偽ウィルス情報」は明らかにデマであろうが、他はいちがいにはデマとは言い切れない。逆に「ボランティア募集」「献血のお願い」などは大元としては事実であったことが確認されているらしい。つまり、問題なのは内容の真偽というよりは、不特定多数に不確かな情報のまま、メールが広がってしまうということなのだ。チェーンメールはねずみ算式にそのトラフィックを増やしていき、ネットワークを混乱させるのだ。メールの転送には十分、気を付けなければならない。

1998年11月 5日

11月5日(木)晴

んもなし。

1998年11月 4日

11月4日(水)曇

3日、秋季高校野球関東大会準決勝にて、「横浜また奇跡!公式戦53連勝」だそうな。しかし、注目点はここではない。
(横浜は)2-5とリードされた9回、2点を返した後の2死一、二塁で飯盛が中飛を打ち上げたが、中堅手が落球。試合終了と思いマウンド上に集まっていた高崎商ナインが、それに気がつかず、一気に逆転、さらに1点を追加した。
マヌケだ・・・。勝負事は下駄をはくまでわからんとはこのことか・・・。

元記事: http://www.nikkansports.com/

1998年11月 3日

11月3日(火)曇

邪ひいてまった。喉が痛い。辛い。健康が一番や。

1998年11月 2日

11月2日(月)曇

付いたらもう11月か。今年もあと2ヶ月。お気楽大学生もあと5ヶ月。すると、卒業研究もそれまでに仕上げるということか・・・。絶句やな。

1998年11月 1日

11月1日(日)晴

日は、草野球。助っ人として試合に出ることになり、個人的にダブルヘッダとなった。ふ~、疲れた。

しかし、今日は自分としては衝撃的な事件があった。牽制で挟まれてしまったのだが、挟まれてる途中で足が回らなくなった。2試合目には太ももの筋が痛くなり始めたし。こんなの完全に他人事だと思っていたのに。おそるべき、運動不足。これに、反省してエレベータ、エスカレータの使用の封印を決断した。