6月30日(火)晴
今夜は飲み会があった。疲れた。
今夜は飲み会があった。疲れた。
そして、昼は河口湖畔のホテルで会食。いとことかに会うのも久しぶり。皆ほとんど、酒を飲める年になった。俺も23になるわけだ。
と、いっても、明日午前中から実家の方で法事があるので、今日中に帰らにゃならん。必死で帰還した。やっと、家に着くと、2日酔いによる頭痛をかみ殺しながら甥の隼人と遊んだ。正月に会った時にはやっと歩けるかどうかといったところだったが、もうしっかり歩けるようになっていた。
今日は終幕したワールドカップフランス大会における日本を総括したいと思う。技術的な面、選手起用などは私が言えるような身分でもないのでとりあえず割愛。
よって精神的な面による総括となるが、はっきり言って日本はモチベーションが不足しすぎていた。明らかに、アルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカさえ終わってみると格上であった。しかし、目に入ってくる日本代表の姿はアジア予選、さらにはJリーグのおけるその姿とさして変わらなかった。負けているのに、城を中心に中田など笑顔を浮かべていた。そんなクールさはワールドカップでは通用する訳もなかった。
そして、岡田監督が当初言っていた「1勝1敗1分」。確かに妥当ではあるが、人間は楽な方向に進んでしまう生き物。目標は70~80%しか達成出来ないという説もある。そんなアホな~と言われながらも「3勝」と言っておくべきではなかっただろうか。
さらに、現在の日本代表のスタッフの問題。確かに有能な人材が集まっていたのかもしれないが、なにぶん、日本は初出場。ワールドカップに対する経験のあるスタッフが欲しかった。例えば、ジーコとか。アジア予選の危機を回避させワールドカップ進出へと導いた岡田監督ではあったが、所詮、まだ代行監督でしかなかったのかもしれない。
名良橋は大会前、「チーム(鹿島)のメンバーには悪いが、ワールドカップで全てを燃やしつくしたい」というようなコメントを残している。まさに、全員が、最初から、この意気で臨むべきだっただろう。
ジャマイカ戦、0対2となってから得点を取ろうと選手が全員いきいきと動き出した。そして、次々と決定的なチャンスを奪った。アルゼンチン戦から通じてずっと椅子に座ってどっかり観戦していた私だったが、テレビの前まで乗り出して熱狂した。ついに、中山がワールドカップ日本初得点!。「鮮やか!」ではなかったが気持ちが入った実に素晴らしいシュートだった。
終盤、ワールドカップ初出場した期待の若手・小野も実にいい働きをした。平野も結構良かった。
2002年に楽しみな人材も出てきた。精神的な面、決定力不足(シュートはワクにおさめましょう!)など課題もしっかり露呈された。
最後。中継で「岡田、腹切って詫びろ」とヤジっていた福岡のたわけなボケ! じゃあ、お前だったら何が出来るんだ? 勘違い野郎な福岡の君には、雑魚(ザコと読むんだよ)認定書とカス認定書をダブルで送ろう。
しかし聞くと、結構笑えない事件。自分が死んだ後の、知的障害の息子(63才)の行く末に悲観した母親が無理心中、だが自分は死にきれなかったという事件なのである。
昼が長くなるという点でぜひ導入されて欲しいと思うとともに、夜が短くなるので導入されて欲しくないような気も。
昭和20年代に日本でも4年間、導入されたことがあったが、結局、労働時間が長くなっただけで廃止されたと経緯もあるという。また、同じようなことがおこるような気もするなぁ。
ところで、夜、アルゼンチン対ジャマイカ戦を観た。アルゼンチンがジャマイカに5-0と大勝し、日本の決勝進出は約0から完全に0になった。
ところで、なんか今日はあっさり負けたという印象だ。気付いてみると今、代表の中でファイタータイプの人間は中山だけである。こんな時こそ、闘志を全面に出して戦える選手、そう北沢やカズが必要だったかも・・・。アジア予選最終戦で途中交代させられた時のあの醜いほどのカズのアピール、今はそんな執着心が懐かしい。まあ結果論ではある。
昨年のアジア予選後、もてはやされた岡田監督も単なるオヤジに見えてきた。言い過ぎかな?
城南電機のあの宮地社長が昨日朝、お亡くなりになったらしい。ご冥福をお祈りしたい。これから、城南電機はどうなっていくんだろう。まあ、あまり興味はない。廃業らしい。
それは、少年野球の校区大会のことだった。1回戦、我が竜ヶ丘はガチガチの優勝候補旭町と運悪く激突。案の定、1対6の劣勢であったが、私の満塁本塁打(悲しいことにこんなことはこの時以来ない)などで奇跡の逆転勝ち、死闘を7対6の勝利でおさめた。間違いなくこの時点で我がチームが優勝候補の1番手に成り上がった訳だが・・・。
次の試合は、なんと10分後。今、考えれば、んなアホなということだが、それがまかりとおっていた(現在、どういう状況で行われているかは知らない)。しかも、相手の幸町は不戦勝でそれが1戦目である。結果は0対15の惨敗。この結果はあたりまえの結果だ。2試合も連続で実力を発揮できるほど、小学生に体力があるはずがない。当時投手だった俺は、半泣きしながら連投したのを覚えている(しかも、当時好きだった女の子が見てたんだなこれが)。
この話は小6の時の話だが、小5の時も似たような状況で決勝で敗れ準優勝に終わっている。ふと、今夜、思い出した話だが、今でも思い出すと悔しくなるエピソードである。
中田、中山が各1回ずつキーパーと1対1になった。しかし、ともに決められなかった。なにより日本の弱点は決定力不足だ。ところで、川口は冴えていたように思う。2年前、アトランタであのブラジルの猛攻をことごとく防いだ時を思い出すキレがあった。