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2003年4月21日

偉大なる開拓者

野茂がアメリカに渡ったのは1995年。
しかし、イチローや松井のようにすっきりした形の渡米ではなかった。
94年オフ、契約交渉にて「複数年契約」「代理人制度」を要求した野茂と近鉄の交渉が決裂。
任意引退選手となりメジャーへ挑戦する運びとなった。
当時としては(今も?)、選手が球団に楯突くことなどご法度。マスコミなどの野茂へのバッシングはそれは壮絶なものだった。
野球解説者の評価も一様に良くなく「無謀」な挑戦という声がほとんどだった。
1年目から、オールスター出場、新人王などという輝かしい結果で払拭したのは周知の通りだろう。

現在、日本人選手がメジャーで活躍することはさして珍しいことではなくなった。
しかし、野茂の存在なくしてそれは実現したかどうか・・・

偉大なる開拓者は今日、メジャー100勝という「通過点」を越えた。

2003年4月20日

空虚な叫び、叶わぬ試み

今日、データベーススペシャリストの試験を東京電機大で受験した。
午後になり、問題もややこしくなってきているところに、区議会選挙の選挙カーが本格的にやかましくなった。
主義主張もなにもなくただ候補者の名前を叫んでいるだけの選挙カーは非常に空虚だなあと感慨にふけった。
そんな物思いにふけりつつ、試験に玉砕された。

2003年4月16日

岩手県議選で当選したグレート・サスケの覆面に知事や県議から異論が出ているという。「自民党県議団は15

岩手県議選で当選したグレート・サスケの覆面に知事や県議から異論が出ているという。「自民党県議団は15日、『神聖な議場には顔の見えない人が入るべきでない』と、全員一致で反対することを決めた。」という。

覆面姿の県議会議員についての反論はわからなくもないが、この自民党県議団の決議は非常にナンセンスだ。県民により「選挙」という形で承認されたばかりなのである。この自民党県議団の決議は、県議会議員は単に県民の代表であるということを忘れているとしか思えない。県議会議員のために県議会があるわけではないのだ。

>2003/04/21追記
今日のニュースによると、岩手県知事はグレートサスケの覆面を容認するとしたそうだ。

2003年4月13日

真田家IT化計画第2弾

ライブカメラで我が家を監視できる(される?)ようになって久しいが,ついにエアコンのスイッチをインターネット,iモードなどから入れられるようにした。
クロッサム2+USBというUSB接続できるリモコンを使って実装した。
要はリモコンを使って操作できるものであれば,なんでも操作できるわけだ。
しかし、10年後いや5年後には、家電はインターネットに直接つながりこんな小細工をしなくても、同様のことができるようになるに違いない。