今夜は実家にとまり、
夜はS木、H野と焼肉に行き、ボウリングをして、カラオケに行った。途中からM田さんも加わった。名古屋で過ごす最後の夜はなかなか充実した。最後、S木に握手を求められた。アツい男だ。
今夜は徹夜で荷造りや・・・。
夜は研究室の追いコンだった。
夜は、俺の送別会ということで親しい友人が集まり飲み会となった。まあ、送別会より飲み会の方がメインなんだけど。皆と会うのはだいぶ久しぶりだった。ほとんどのヤツが社会人になってしまったからね。次にこのメンツがそろうのはいつになるのだろう。
そして、今日は全然読んでいないマンガ本を売って来た。見返りなんてほとんど期待していなかったが約2500円で売れた。臨時収入♪臨時収入♪
夜、押し入れの整理をし始めたら、大学入学時のガイダンスの書類やらなんやらが大量に発掘された。「大学合格おめでとう」なんていう言葉に懐かしさを覚えつつも、そんなものを今まで処分していなかった自分に反省をしたのであった。
ところで、今まで2人の家庭教師をしていたが、片方の子の家庭教師が今日で最後になった。3年間、家庭教師をしていたのでなんともさびしい気分だ。
イチローにはぜひ近い将来、大リーグ挑戦してもらいたいね。いっそ、そのまま帰ってくるなとも思ってしまう。オリックスが手放さんだろけど。
脳死判定による臓器移植のニュースだが、今まで日本人は臓器を与えられる側しかありえなかったから気付かなかった一面が、今回見えた。それは臓器移植には与えられる側だけでなく、複雑な心境を抱えながら臓器を与える側があるということ。当初のマスコミの脳死歓迎という報道に対し、ドナー側の家族が不快感を示し、はじめて私もそのことに気付いた。
「脳死は人間の死だ」という考えに私は賛成であり、臓器移植にはもっぱら賛成だった。人間は考える動物であり、考えられなくなってしまったら、もう生きているとは言えない気がするからだ。しかし、だからといって心臓だの肝臓だの中身を全部奪われていってしまうということ・・・、所詮、火葬場で焼かれて灰になってしまうものなのだが、家族の心境を考えると複雑だ。解答なき難しい問題であることは間違いない。ただ、せめて臓器をもらった方がドナーの分まで生きてくれることを願うのみだ。
夜、I貫が訪れた。就職活動でインターネットを使いに来たのだ。彼も今年はマジで就職活動をするようだ。