« 1998年11月 | メイン | 1999年1月 »

1998年12月31日

12月31日(木)晴

晦日ということで行く年98年を振り返ってみた。

1月、高校サッカー、東福岡対帝京戦の雪の中の決勝戦が心に残っている。この決勝戦が象徴するように今年はじめの関東地方は大雪に見舞われることが多かった。実家の富士吉田では1メートルを越す雪が降ったという。

2月には、長野の冬季五輪。161センチと小柄な清水の活躍、4年前の屈辱を晴らしたジャンプの原田などが印象深い。

3月には、大部分の同級生が大学を卒業した。来年こそはちゃんと俺も卒業せねば。

4月、就職活動をボチボチとし始めてみる。いろいろ話を聞いたりする機会が持てて良かった。

5月、就職に関し、プレゼンをしなければならなかったりとにわかに忙しくなった。

6月、日本、念願のワールドカップ出場。しかし、残念ながら3連敗という結果に。まあ、今考えてみればこれで良かったのではないかとおもう。次への楽しみもできたしね。ただ、直前のカズの代表落ちは驚きとともに時代の流れを感じた。就職が無事、情報系某社に内定したのも6月だった。

7月、友人の死。突然の出来事だった。驚きだった。

8月、なんといっても横浜高校の春夏連覇が心に焼き付けられている。準々決勝では延長17回の激闘。準決勝では6点差からの奇跡の逆転サヨナラ劇。決勝ではなんとエース松坂がノーヒットノーラン。こんな心に残る大会は今までなかったしこれからもないのではないだろうかと思う。甲子園で投げ抜いた投手はプロ入りした後、大成しないケースが多いというが、松坂投手には頑張ってほしい。

9月、北朝鮮のミサイル誤射という物騒なニュースが入ったが、中田のセリエA鮮烈デビュー、マグワイアの本塁打記録などスポーツ界は明るかった。

10月、学祭のソフトボール大会では5回目の挑戦にして初優勝。嬉しかった。

11月、33年ぶりというしし座流星群がマスコミをにぎわせた。俺も見ようとしたが2個をやっと確認できただけ。期待はずれだった。おまけにこの日の夜の寒かったこと寒かったこと・・・。

12月、アメリカとイギリスがイラクに空爆。遠くの出来事ではあったが、お隣の北朝鮮のことを考えると他人事とは思えない。

思い返すと、社会は暗いニュースばかり。たまの明るいニュースといえばスポーツ関係だけだった。どこぞのCMではないが来年は「苦」ばかりの1999年ではなく、「いい年」の平成11年であってほしい。

個人的には、大学を卒業し就職する(予定)。なにかと変化の年になるだろうから、頑張っていきたいね。

1998年12月30日

12月30日(水)晴

ウンタウンの番組に鈴木その子が出ていた。しかし、だれかあのおばあちゃんに注意してやる人間はいないのだろうか。白オバケやで、ただの。

1998年12月29日

12月29日(火)晴

吉が負けた。無惨に・・・。辰吉は正直な話、最強と言うほど強くはないと思っていたが、それでも、いくら殴られても倒れない男というイメージがあった。その辰吉が6Rできれいにダウンされた。立ち上がったが、その後も猛攻を食らいレフェリーが間に入りTKO。最後にもう一度倒れた。切った右目上から流れる鮮血がこの惨敗を物語っていた。

1998年12月28日

12月28日(月)晴

テレ系で9時から「俺にも言わせろ!!」というスペシャル番組をやっていた。ワイドショーなどで話題になった当事者がゲストとして呼ばれ、10人くらいの芸能人が猛烈に言葉を浴びせるといった感じの番組だった。

そのなかで、カバキというイタリア人が登場した。数年前、女子大生集団レイプ事件の容疑者として逮捕されたが保釈された男だ。しかし、このカバキは単なる容疑者だっただけであるのに、出演者たちは完全に犯人として決め付け、ほぼ一方的に罵倒しまくっていた。疑わしいのは確かであるのかもしれないが、おまえらにそんなことを言う権利はない。日本は法治国家であり、おまえらが治める国家じゃねえんだよ(イタリアで起きた事件だけどね・・・)。

さらに、問題なのはこの議論の状況(まあ、「議論」などとは到底言えないのだが)。カバキ側は慣れない日本語で話す上に一人だけ。そして、相手側は得意の日本語で十数人が総攻撃。「いじめ」が問題となる日本の番組らしいね。

日本の問題を数々含んだ非常に低俗な番組だった。さすが!日テレちゃん!

1998年12月27日

12月27日(日)晴

近、金山の家庭教師の帰りに必ず、スポーツガーデンのバッティングセンターに寄っている。4ゲーム1000円と割高なのだが、その分かどうかわからないが、ホームランの的が3つと多い。その上、ホームランの判定が敏感で的に当たっていなくても的をつっている糸(?)に当たれば反応してくれる。だから、4ゲームの間に大体1回はホームランが出る。ホームラン賞は2ゲーム分のチケットがもらえるので、都合、6ゲーム1000円というわけだ。さらに、球筋もいい。今、一押しのバッティングセンターだ。

1998年12月26日

12月26日(土)晴

房が奈良から来るなどS木、H野らとささやかな忘年会をした。ただの飲み会という説もあるが・・・。

1998年12月25日

12月25日(金)晴

んもなし。

1998年12月24日

12月24日(木)晴

リスマス・イブ。今年もシングルベルや。寒い日やった。気温も心も。

1998年12月23日

12月23日(水)晴

んもなすぃ。

1998年12月22日

12月22日(火)晴

んもなし!

1998年12月21日

12月21日(月)晴

デオで「セブンイヤーズインチベット」を観た。終盤で平和を好む文化を持つチベットは中国に無残に侵略される。完全にこの映画で中国は悪者である。観ていて自分も中国に対し、やや怒りを覚えたのだが、考えてみれば我が日本にもそういった過去は数多くある。北海道ではアイヌの人々を追いやったり、さらに今世紀初頭には、韓国を併合すると、文化の根源である韓国語を禁止したりした。少し日本人としても反省を覚えた映画だった。

1998年12月20日

12月20日(日)晴

18日の日記に書いたアジア大会の「メダル独占」問題。なんと同一国が1-3位を独占した種目に関し、3位の記録を抹消、以下を繰り上げにするという。すげえメチャクチャな話だ。だったら、最初から各国から代表は2名だけとかしとけばいいのに・・・。

今日は昼間、栄-矢場町-大須ラインを歩き回った。年末で日曜日とあり、いやというほど人がいた。特に今月南館がオープンしたパルコは大混雑。今回のところは一通り様子を見ただけで店を出てきた。しかし、歩いてみると矢場町と大須は非常に近いことに気づく。街の雰囲気がぜんぜん違うので、遠く感じるのだが。

そういえば大須で偶然、S木に出会った。これから帰って、自作マシンを製作するという。ということで、夜、S木家にオジャマして拝見。意外と手軽に自作できるような気がした。次にパソコン買うときは自作しよう。

1998年12月19日

12月19日(土)晴

方、先日吹上にオープンした電器量販店のギ○スカンサイに行ってきた。まあまあ近所だし品揃えも良く便利な店がオープンしたという感じだ。それにしても見ていて欲しいものばかりだった。大容量メディア、ビデオデッキ、MDコンポ、デジカメなどなど・・・。いくら金があっても足りない。

しかし、しつこいほど店内にかかっているギ○スカンサイのテーマには頭が痛くなりそうだった。この店に長時間いるときっと洗脳されてしまうだろう。

1998年12月18日

12月18日(金)晴

在、タイ・バンコクでは盛大にアジア大会が開かれている。このなかで、16日の新聞に奇妙なルールの記事を見つけた。3位なのに銅メダルをもらえなかったという記事だ。この理由は、アジア・オリンピック評議会(OCA)に1カ国でメダルを独占しないという憲章があるためである。そのため、1-3位を同じ国で独占すると、3位の選手は銅メダルをもらえないらしい。

なんとなく、この憲章のいわんとするところはわからないでもない。ただ、そんな形で3位なのに銅メダルをもらえない選手、4位なのに銅メダルをもらう選手はどんな気持ちなのだろうか。3位の選手にしてみればなぜもらえないんだという気持ちであろうし、4位の選手にしてみてもその銅メダルに何の意味があるのだろうか。この憲章は国単位のことしか考えておらず、まるで選手単位のことは無視されてる悪法と言っていいだろう。

さらに問題なのは、このアジア大会におきこの規定が不統一であるということ。ボウリング女子、アーチェリー女子個人では「1カ国でメダルを独占しない」というOCAの規定が適用されたのに対し、馬術の馬場馬術個人では韓国選手が1-3位を占めたが、独占を認めている国際競技連盟(IF)の規定によりそのままメダリストとして表彰された。

1998年12月17日

12月17日(木)晴

英がイラクへの空爆を実行した。第2次湾岸戦争勃発となるのだろうか。どの道、イラクの劣勢であろうが「神」の名を挙げて戦うイラクである。やけくそでめちゃくちゃなことをやってくることだけが怖い。もうすぐ、運命の1999年・・・

1998年12月16日

12月16日(水)晴

から研究室の忘年会。海の幸がたいへんうまかった。夜中からやった麻雀にも勝ち、結果的に安上がりな忘年会となった。

1998年12月15日

12月15日(火)曇

夜、東風荘にて。起家で東一におき度重なる連荘、得点は7万点を越えた。この時点で興味はトップになることでなく、何点取れるかだったのだが・・・。なんと、7本場で字一色をフリコんで逆転負け。う~む。なんでも慢心はやはりいかんなあ。いい教訓になったよ。

1998年12月14日

12月14日(月)曇

風荘に今朝方までハマり、ほとんど寝てない状況で夕方から家庭教師のダブルヘッダ。きつかった。しかし、反省。

1998年12月13日

12月13日(日)晴

~ん、すごい。セリエA・ペルージャで活躍中の中田がまた劇的な活躍。1-0から後半ロスタイムで追いつかれたペルージャ。その落胆をものの30秒後で打ち破る決勝アシストを挙げた。同じ山梨出身として鼻が高い。

1998年12月12日

12月12日(土)晴

しぶりに買い物三昧した。まず、メモリを買いに大須に出かける。いろいろ見回ったが、名も聞いたことのないメーカだが、保証もあり安かったやつを買った。そして、衝動買いでWindows98upgradeを買ってしまった。アカデミーパックで6500円、普通ので11800円という大きな差をみて学生のいまのうちに・・・ということで買ってしまった。家に帰り、さっそくメモリ&Win98を導入した。いまいち不安定。

今日はその他、ジーンズやらシャツやらを買った。それにしても、金はあっという間になくなってしまうものやなあ。

1998年12月11日

12月11日(金)晴

津に誘われとあるパーティに行ってきた。しかし、テンション上がらずいまいち精彩を欠いた。

ところで、N島とドラフトの話をした。私は完全ウェーバー制支援派なのだが、彼は反対らしい。終盤で故意に負けるチームが出てくるというのがその理由。確かに、そうかもしれないな。現に毎年のように、シーズン終盤、個人タイトルをかけて汚い争いが日本のプロ野球では起きている。そんな点からも「故意に負ける」行為が出てくることは容易に想像できる。しかし、この体質は大変問題だな。

1998年12月10日

12月10日(木)晴

後から研究室対抗のサッカーがあった。サッカーは自分の分野じゃないことを痛感した。終わった後、ものすごい虚無感だけが残った。結局、うちの研究室は全敗やし・・・。やはり、俺にとってサッカーは観るスポーツや。

1998年12月 9日

12月9日(水)晴

渕首相が現在のプロ野球ドラフト制度に対する見解を述べるという場面が昨日、国会で実現した。元中日投手・三沢淳氏の質問によるものだ。「現状やむを得ず」というのが首相の見解のようだ。

そこで、私の見解をここで書くことにした。私は、その年の最下位チームから順に指名権を持つ完全ウェーバー制がいいと思う。そもそも、金のある球団にいい選手が集中し、チーム力が不均衡になることを防ぐべく作られたのがドラフト制度である。その経緯に則って考えるのならば、完全ウェーバー制がベストではないだろうか。くじ引きにより指名権を取り合う現行の方式は確かにショーアップ効果としては絶大なものだ。過去にいろいろなドラマも生んだ。しかし、そのドラマの多くは選手の悲劇であったのだ。

選手にチームを選ぶ権利を・・・ということで、導入された逆指名制度は廃止し、代わりにFA権取得の条件を軽くするといい。

1998年12月 8日

12月8日(火)晴

海地方では今日まで、東海テレビで「踊る大捜査線」の再放送をしていた。私は、永久保存版としてビデオに録画していた。しかし、今日の最終回スペシャルは最悪だった。番組の冒頭部分に「語る大捜査線」とか言って東海テレビがくだらんVTRを入れやがった。まあしかし、映画の宣伝とかもあるやろし、ここまではなんとか我慢した。しかし、こともあろうに、番組の真ん中にまで差し込んできやがった。は~。最悪や。興ざめや。「この木、無からましかば・・・」と徒然草でつづった吉田兼好の気分やわ。

1998年12月 7日

12月7日(月)曇

日、12月8日は確か日本軍がハワイの真珠湾へ奇襲攻撃をかけた日である(日本時間では12月8日)。57年前の話である。こんな卑劣なことを我々日本人は決して繰り返さないだろうが、かつての過ちとしてしっかり心に留めておくべきだろう。

ところで、先日、北朝鮮のミサイル(と思われるもの)が日本を越えて太平洋に着弾するという事件があり、日本中が大騒ぎになった。最近ではすっかり忘れ去られている事件ではあるが、このミサイルの情報をつかめなかった日本であるから、北朝鮮の意思次第でこれが「真珠湾攻撃」のような奇襲攻撃となる可能性は十分にあったわけだ。現在、日本はとても平和だから「まさか」と思ってしまうのだが、可能性は少なからずあるようにも思う。

今の北朝鮮の姿・・・。食料問題などによる国力の著しい低下。意気揚々とした口調で放送する放送局。そして、神様のように崇められる国家主席。何か、第二次世界大戦前の日本に似ていると感じるのは私だけだろうか。経済問題も大事だが、防衛問題も早急に考えていかなければならないような気がしてならない。何かが起きてからではもう遅いのだから。

1998年12月 6日

12月6日(日)晴

ロ野球はシーズンオフになり、契約更改の季節になっている。そんな折、昨日、中日の注目の2選手が交渉に臨んだ。野口と落合だ。昨年の年俸は野口2500万、落合2600万と大変、似通っていた。そしてその二人、野口は先発の核となり14勝を挙げ(27試合14勝9敗 防御率2.34)、落合は中継ぎのエースとして55試合に登板、最優秀中継ぎ投手に輝き(55試合4勝6敗5S 防御率2.82)、共に今年大躍進した。

注目の交渉の結果では、非常に興味深い結果が見られた。野口が6000万でサインしたのに対し、落合は5500万(+タイトル料500万)で保留した。星野監督も「MVPは落合」と落合を高く評価している。中継ぎ投手という過酷なポジションを1シーズンに渡り、こなしたのだ。野口の活躍も当然立派だが、それ以上の活躍だったといっても過言でないだろう。しかし、野口より査定ポイントとしては下だったことになる。中継ぎ投手への評価も上がってきたがまだ小さい。せめて、野口と同等くらいの評価を落合へはしてあげてほしい。

1998年12月 5日

12月5日(土)曇

野球のチームの忘年会があった。久々によく飲んだ。フィリピンバーにも連れていってもらったし。飲んだ後、ローソンのおでんを食ったのだが、至高のうまさだった。

1998年12月 4日

12月4日(金)晴

グッドウィルハンティング」をビデオで見た。いろいろなメッセージを含んだいい映画だった。

1998年12月 3日

12月3日(木)曇

イエーのスパイ疑惑事件を受けてではないだろうが、高野連が動いた。以下asahi.comからの抜粋。
高野連、「サインのぞき」の禁止を通達へ
 日本高校野球連盟は3日、大阪市内で常任理事会などを開き、二塁走者や一、三塁コーチが捕手のサインを見て、打者に球種やコースを伝える行為を禁止する方針を決めた。4日に開く全国理事会での審議を経て、同日付で加盟校に通達する予定。

 同連盟では、国際大会で相手国からマナー上の問題として指摘された経験などがあることから、これまで技術振興委員会などで議論を重ねていた。この日の会議でも、「サインをのぞく行為はフェアプレー精神に反する」との意見で一致。加盟校に指導の形で、通達することになった。

 同連盟の田名部和裕事務局長は「二塁走者がサインをのぞく行為は以前から気になっていた。相手のくせや動きによって『読む』行為とは根本的に違う。指導を徹底するための具体策については、さらに検討していきたい」と話している。

この記事を見て、野球をやってきた人であれば、多少の驚きを感じることだろう。日本においては、ある程度のレベル以上では、二塁走者が打者へコースなどを伝えるのは常識に近いからだ。そういう野球を常識として受け取ってきた私は、先日のダイエーの疑惑は選手以外がサインのぞきに関わっている点からモラルに反すると感じたが、この今回の高野連の見解は素直には受け入れがたい。しかし一方で「サインをのぞく行為はフェアプレー精神に反する」という意見も言われれば受け取れなくもない。野球は、これからもっともっと国際的になっていくスポーツ。だからこそ、この方向性は「野球」を「Baseball」に近づけていくために必要なことなのかもしれない。これからは注意しなければ・・・。

1998年12月 2日

12月2日(水)曇

イエーのスパイ疑惑が浮上した。外野席からテレビカメラなどを用いて、学生のバイトがサインを送っていたという話らしい。昨年の脱税事件といい、日本プロ野球も問題が尽きないなあ。存在すら危ぶまれているJリーグよりはいいんだろうが。ただ、あまり、ファンを無視したようなことばかりしていると野球の方もサッカーの二の舞にならないと言う保証はない。

1998年12月 1日

12月1日(火)曇

日、急遽バイトがキャンセルになり暇になったので、「踊る大捜査線 THE MOVIE」を観てきた。感想としては良かった。さすがは、このところ、映画ランキング1位を走っているだけはある。ただ、テレビの伏線により良かったと思うところは多分にあり、テレビ版を観てない人が観て果たして同じような感想を持つかどうかは疑問ではある。あらかじめ、予習は必要かもしれない。